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2008年10月28日20:22

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少女はすべての母親である。 〜楳図かずお 「洗礼」を読む〜

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楳図かずお先生の「洗礼」と出会ったのは、従姉の怪奇マンガコレクションのなかで、ちょうど、リアルタイムで少女コミックで連載していたのを読み回していた。
それまでは日野日出志先生の影響が強く、二人で「わたしの赤ちゃん」や「赤い蛇」のシチュエーションを真似して素人芝居に耽っていたのだが、楳図先生の「洗礼」となると、どう演じていいのか全く分からずに途方にくれるだけだった。

異形のものを演じるのは簡単である。
子供特有の変身願望のままになりきるだけでいいのだから。

しかし、人間、それも女の心のなかの「闇」を演じるにあたって、従姉は眉をひそめ、唇を歪めるだけで、何か熱いものをもてあますようにして少女コミックを私に回すのが常だった。
そのことについて、後に大人になって再会した従姉は告白している。

「だって、さくらはあたしなんだもの」

そうなのだ、それ自体が自分自身なのに、どうして演じる必要があろう?
大きくなってから。
周囲の身近な順番に、女性たちに、「洗礼」のさくらをどう思うか聞いてまわったけれども、みんな、さくらを異形のものとは思わないと言い、やっぱり眉をひそめ、意味ありげに唇を歪めるだけだった。

すべての少女たちが自らのうちにさくらを見出していたとしたら、母親であるいずみの影も見出していたのだろうか?

私は考える。
少女コミックを読んでいた少女たちは、その時点ではまだ母親ではない。
それだけに、母親である自分自身を想像しただろう。
自分もいずみのように娘を我が分身として異常な溺愛を注ぐのだろうかと。
そこで、想像した時点で、少女たちはすべての母親になることが出来るのだ。
背伸びしたがる少女の可愛い生意気なんてものではなく、愛を両手いっぱいに抱えて守る、恐ろしいまでに優しい母親になりきることが・・・

いずみ以上の母親のかたち・・・

それを思い浮かべた時、私は痙攣的に、なぜタイトルが「洗礼」なのかを理解出来た。
日野日出志先生の異形の世界はキリスト教でいえば、スティグマである。その人だけに与えられた印、秘蹟なのだ。

だから、他の誰にも受け継がれない(受け継がれようがない)。

しかし、「洗礼」のさくらは、そのまま受け継がれるのだ。あたかも、すべての少女たちが洗礼を受けるかのように・・・

まだなることの出来ない女のかたち、しかしいずれはなるであろう母親のかたち、それらに思いを馳せる時の少女たちの心のなかを覗いてみるがよい。
甘く美しい香りの他に何が見えるか・・・
楳図先生は蜘蛛以上に、女性恐怖症なのだそうだが、当の女性自身も納得するほどの本質を描ききったという点で、「洗礼」は永遠に残る名作といえるだろう。

驚くべきことに、私と同じくらいの年齢に達した男性のなかには、いまだに女の子はもっとおしとやかでキレイなことしか考えていないなどという幻想を抱いているものがいるのだが、それはきっと、生身で女性経験がないか、女性と心を通わせたことがない精神的童貞の輩だと思っている。

私は幸い、従姉のなかに、リアルタイムでさくらを見た。
そのかいあって、危険物取り扱いに慣れることが出来たので、そういう意味でも「洗礼」は私にとって特別な作品なのだ。
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