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2008年05月14日01:28

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身燈の行のこと。

発心集第三−五「或る禅師、補陀落山に詣づる事賀東上人の事」(新潮日本古典集成本)
「讃岐の三位という人の乳母の夫なる人は、長年極楽往生を願い続ける入道だった。彼はこう考えた。
「この人間の身体というものは、まったく意のままになるものでない。もし、悪い病気にでもかかって、死に際が思うようにならないならば、往生の素懐を遂げることは極めて難しい。今のように病気のない健康な状態で死んでこそ、臨終のときに心を安定させていられるだろう」
そして彼は「身燈」を試みる。
まず火の色になるまで焼いた鍬を二つ左右の脇にはさんで、生身に押し当ててみた。肉が焼け、酸鼻な状態になったけれども、彼は「ことにもあらざりけり」ともらした。そして本格的に身燈の準備にかかっているうちに、思いが変わった。
身燈はやすくしつべし。されど、此の生を改めて極楽へまうでん詮もなく、又、凡夫なれば、もし終りに至りて、いかが、なほ疑ふ心もあらん。補陀落山こそ、此の世間の内にて、此の身ながらも詣でぬべき
所なれ。しからば、かれへ詣でんと思ふなり。
土佐の国に知る処ありければ、行きて、新しき小船一つまうけて、朝夕これに乗りて、梶取るわざを習ふ。その後、梶取りをかたらひ、「北風のたゆみなく吹きつよりぬらん時は、告げよ」と契りて、其の風を待ちえて、彼の小船に帆かけて、ただ一人乗りて、南をさして去りにけり。妻子ありけれど、かほどに思ひ立ちたる事なれば、留めるにかひなし。空しく行きかくれぬる方を見やりてなん、泣き悲しみけり。
是を、時の人、こころざしの至り浅からず、必ず参りぬらんとぞ、おしはかりける」

(註:中太字は私の手による)

「痛み、ごまかしのきかぬ、にげようのないこの痛み、痛みだけが確実なのだ。それのみ、愛のたしかな憑り代なのである。
いうまでもなく、この痛覚のロジックの極北には、愛のための死が、暗鬱の相貌で佇んでいるのである。日本人は、愛において死を求め続けたのではないか。日本のエロスは、つねにタナトスとからみ合ってきたのではないか。自虐と加虐の相補作用、激痛のみのもたらしうる恍惚の冥婚・・・かくして性愛の地獄は、すなわち痛みの地獄なのである。この構造は、日本的性愛の業であるとともに、広く日本的心性の業でもあった」

「刺青・性・死 ―逆光の日本美―」松田修著(平凡社)


中学生の頃、いわゆる「根性焼き」をしたことがある。
当時の私は、自分で創設した美術部にて孤独な部活動をしつつ、図書室に引きこもって読書三昧に耽った、暗さが目立つ少年だったが、不良を毛嫌いしてて、弱い者をイジメている現場に出くわすと、不良に跳び蹴りを食らわすという熱い部分があった。
元々身体が大きかった上に、馬鹿力もあったから、五人までなら相手に出来た。
それに、生まれつきサドっ気があったのも手伝って、ほんとうに躊躇することを知らなかった。
例えば、プロレスでいうジャイアント・スイングで相手をブン回すと、そのまま勢いをつけて、川の中へ叩き込んだり、相手が金属バットで殴り掛かってくると、そこらへんにあった植木鉢を中身入りで思いっきり頭部にぶつけたり、指を噛まれると、そのまま五本指全部を相手の喉の奥深く突っ込んだりと、自分でもびっくりするくらい、エゲツないケンカばかりしていた。
そのおかげで、耳が悪いというハンデを背負いつつ、補聴器という目立つ補助具をつけていても、イジメられるということはなかったが、相手を必要以上に痛めつけていい気分になっていると、ツケが回ってくるのは世の常であり、私もとうとう不良グループに取り囲まれて、番長とタイマンをはるハメになった。
番長はタッパが百五十センチと小柄だったが、根性で成り上がっただけあって、いくら殴り合っても、らちがあかず、根性焼きで決着をつけようということになった。

一般に、タバコの火をおのれの手の甲とか、腕の内側とかに押しつけるのだが、私たちがやったのは、空の石油缶の中で焼いた木炭を握り締めることだった。
おかげで、番長も私も、両手の皮をベロベロにして病院に担ぎ込まれる羽目になったのだが、後に私たちは親友同士になったことを考えると、

ここまでしないと、お互いを認めあえない、「絆」というもの

について、色々考えざるを得ないのである。
昔から、私は、本物の愛と友情は、痛みと血が伴うのは当たり前だと考えていたふしがあって、初体験の相手である従姉とは、祈祷師の秘法に習って、お互いの手のひらをボンナイフで切って、お互いてのひらを合わせて、血が固まってもずっと握り締め合うということをやったし、好きな女の子が強くつねってくるのをきっかけに、好きなだけつねることを許す代わりに、こちらは血の出るくらいに強く噛むことを承諾させたし、思い出すだけでも色々な「契り」を交わした。

でも。

痛みと血でも、「あかし」を立てられないとなったら、一体どうすればいいのか?

当時の私にとって、「契り」を交わせない難攻不落の相手とは、私自身だった。
誰でもそういう時があるが、要するに自分が好きになれなかったのである。
精神的に未熟なだけに、自分のふがいなさを呪って呪いまくった。
そこで、どんどん堕ちていく自分自身を引っ張り上げるために、心での「根性焼き」を敢行することにした。
即ち、誰かから恨まれたり、憎まれたり、呪われたり、蔑まれたりすること。

怨念の火でもって灼かれること。

しかし、私は理由もなしに悪人に徹するのは出来なかった。
相手には躊躇しなかったが、自分自身には躊躇してしまう・・・
この甘さを打開すべく、ヤケクソぎみに、いっぺん死んでやらあ!!とどてっ腹に短刀を突き立てて、切腹を試みたことがある。
介錯なしで死ぬつもりだったので、ちゃんと一人で死ねるように、腹をかっさばいた後は、はらわたを掴みだして、畳の上に丁寧に配置し直そうとか考えていた。
ところが、決行日になって、気合い一閃、下腹部に短刀を突き立てた瞬間、新潟の従姉から電話がかかってきて、サカキが産まれたとの知らせを受けた。
それで、私は思いとどまり、腹に短刀を突き立てたまま病院に直行した。

無様に死に損なったという恥辱の念は静かにくすぶり続け、四国を民間信仰の取材で旅したのをきっかけに、犬神がほんとうに存在するのなら、是非取り憑かれて自分の心を徹底的に痛めつけようと思いつき、知り合った祈祷師を通して、ついに犬神をほんとうに製造してしまう。

・・・・・・

2003年06月05日(木)
魔法の犬のこと。

今日、夕方前に仕事が終わったので、南行徳のヤマダ電気に寄って、野鳥の楽園沿いにバイクを走らせていたら、鉄屑もいいところの車のゴミの近くに干からびた犬の死体を見つけた。誰かが面白がるか、腹いせに、フロントガラスを割ったらしく、ガラスの破片が細かく散らばっており、ガラスの雪の上のミイラという感じだった。内臓はすっかり腐り落ち、骨に黄色く干からびた皮がくっついているだけである。私はバイクを脇に停め、犬のミイラを注意深く眺めた。シェパードの血がメインの雑種というところか。辺りを見回し、車の中に乾き切った段ボールの箱を見つけると、中身を取り出して、空にした箱の中に犬の死体をていねいに折り畳んで入れた。その上を会社から持ち帰ったスポーツ新聞で覆い、バイクの後ろに荷物用ネットでくくりつけた。どこかに埋めてやるつもりだった。
バイクを走らせながら、自らの手で犬の死体を作ったことを思い出した。学生時代、高知県は物部村の祈祷師の家に滞在していた時、祈祷師が私に犬神使いの老婆を紹介してくれた。老婆は唐突に、そんなに犬神のことを知りたいなら、自分で作ってみるのはどうかと言う。さてはこの婆さん、私をびびらせて追い返そうとしているな。私は是非お願いしますと頭を下げた。思えば、私も婆さんも後にはひけない性格だった。私は婆さんと出会って十五分もしないうちに犬神製造を学ぶことになってしまった。
私は祈祷師の家から、さらなる山奥に分け入って、婆さんの住む農家へ通っては農家としての仕事を手伝った。血縁や親族はみんな都会へ出てしまって、婆さん一人で農家をやっているというから、私という男手を本当に喜んでいた。畑をたっぷり一ヘクタールは鍬一本で耕した時は、身体中激しい筋肉痛で起き上がるのに難儀したくらいだった。
三日くらいこき使われた夜、私は婆さんの肩を揉んでいた。私の方が揉まれたい状態だったが、犬神のためなら何でも耐えられると考えていた。私は力が欲しかったのだ。誰にも負けない力が。体力には自信があったが、それ以上に魔法の力としての強い精神力が欲しかった。
陰暦として定められたその日に、婆さんは白装束に着替え、私を裏庭へ連れていった。そこには初めて見る犬小屋があった。トタン屋根と金網で作られた大きな犬小屋で、婆さんが金網の扉を開けると、やけに弱々しい、痩せ細った犬が三匹現れた。どれも紀州犬の血が入った小型の雑種だったが、上をちゃんと向けないらしく、下をうつむいたまま、四つ足をガクガクさせながら地面をなめ回すように匂いを嗅いでいた。
「最初は九匹いたんじゃが、残ったのはこの三匹。みんな争い合わせた中での生き残りじゃな」
そう言えば、三匹とも、あちこちに無数の傷があった。噛み傷、引っ掻き傷、擦り傷などなど。
「餌はやっていたんですか?」
「かれこれ三カ月はやっておらん。他の犬を食うてたんじゃ。そうさせたのよ」
犬蠱だ。身体に電流が走るのを感じた。中国に伝わる秘法で、蠱毒のひとつだ。普通は数種の毒虫をお互い争い合わせて、生き残った毒虫を呪術の道具として使うが、犬蠱は犬を使った蠱毒なのだ。
「どれがええ?」
「えっ?」
「あんたの犬神に使う犬をそん中から選ぶんじゃ。さっさと選びや」
私は三匹を眺めた。かわいそうというより、自分自身がこの場にいるという興奮が先に立っていた。いよいよ犬神を作るという興奮が。毛並みが逆立った白い犬を選ぶと、婆さんはスリコギの擦り棒でその犬の頭を強かに殴りつけた。ぐったりとする犬を私に運びやと言いつけ、小さな祠の前に掘った穴の中にそこへ入れやと言った。首だけ出してしっかり埋めやと言い、私の手際が悪いと、婆さんが鍬で手直しした。それから犬の目の前に、祈祷師の家から持ってきた猪の生肉を乗せた皿を置いた。その瞬間、犬の目がくわっと見開かれ、鼻をふんふんさせて、舌を大きく突き出し、ハアハア言いながら白く粘ったよだれを垂れ流した。こんまま三日三晩待つんじゃと婆さんは言い、私を家の中に戻した。そして三日三晩が過ぎたその日に、婆さんは私に一生懸命研がせた鉈を持たせて、裏庭に連れ立ち、犬の目を見ながら一気に首を落とすんじゃと言った。首を叩き切ったところはあまり思い出したくないが、頭の中には日本テレビのドキュメンタリー番組「素晴らしい世界旅行」が浮かんでいた。16ミリ画像の中の血なまぐさい映像。
こうしていくつかの儀式という手続きを経て、私の犬神が完成したのだが、今でも私の部屋の押し入れの中に新聞紙にくるまって収まっている。私は理解している、犬神なんてものは結局気休めなのだと。全世界の呪術、魔術、儀式がそうであるように、相手を呪い殺すための魔法は存在しないのだ。真の魔法の目的は人間そのものの心に深みを与えることにある。私は犬神を製造して、確かにある意味では精神力が強くなった。どんな無残な死体を見ても動揺しなくなったのである。いいことなのか悪いことなのかは分からない。これも私自身が選択したことだ、何も言わず現在の私自身の心に従うだけだ。
私は犬のミイラを南大野の近くの雑木林の中に埋めた。今日はここまで。

・・・・・・

犬神製造の件はかなりダメージを受けて、私の心は文字通り、憑きものが落ちたように晴れ晴れとした。
ただし、空に広がっているのは、突き抜けるような真っ青な青空ではなく、血のように赤い朝焼け、もしくは夕焼けの空だった。
目が見えないほどに、空を覆っていた真っ黒な分厚い雲は四散した。
しかし、太陽は?
太陽はどこにある?
今日に至るまで。
私は今度は、幼児期には確かに心にあった「太陽」を追い求めているのだ・・・

それにしても。

ここまでしないと、私は分からないのだろうか?

そうまでして、確かめたいのだろうか?

その答えだけはハッキリと言い切ることが出来る・・・

生命はかようにもしぶといからだと。

もしも、人間が蜉蝣のようにはかなく死ねるならば、痛みも血も、愛も死も、そして苦悩という歓喜さえも最初から存在しないだろう。

フォト


私自身の妄執とは、私自身の生命力そのものだったのだ。


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