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2008年04月30日17:48

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パンダのいない上野動物園。

■「リンリン」死す、上野動物園のパンダ不在に
(読売新聞 - 04月30日 10:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=475115&media_id=20

1972年、私は三歳だった。
よく覚えていないのだが、生まれたばかりの従弟ケンタを抱いた叔父夫婦と祖父とで、入園したばかりのカンカンとランランを観に行った。
覚えているのは、ものすごい人だかりで、三時間も並んだあげく、観られたのはほんの数秒だった(しかもどんな様子だったのか全然覚えていない)ということだけだ。
このおかげで、今日に至るまで、私は「並んで待つ」ということがほんとうに嫌いである。

それ以来。

日曜日を避けて、平日の、それも閉園間際の夕方に上野動物園を散策するのを常としたのだが、カンカンとランランはこちらに背を向けてまるまっているだけだった。
たまにこっちを見たかと思えば、すぐそっぽを向いて竹をボリボリ食べ始める・・・

オヤジは「パンダなんかちっともかわいかねえ、所詮はクマだからな。かわいいと思って近寄ってみな、次の瞬間、おめえはパンダの胃袋ん中に収まってることに気づくだろうぜ」と毒づいていたが、まあ、近寄りさえしなければ、パンダはかわいらしく、愛くるしかった。

でも。

ガラスの向こうのカンカンとランランは常に背中をまるめていて、どこか寂しそうだった。

それから。

ホアンホアンが来て、フェイフェイが来て、ホアンホアンがトントンを産んで、そのトントンのムコとして今回のニュースのリンリンが来たという流れ・・・と記憶している。

私は新聞が読めるようになった頃、我が国と中国の微妙な関係に気づいた時、上野動物園のパンダたちがどこか寂しそうだった理由が何となく分かった。

動物園の動物は、野生の動物と違って、飼育する側と観る側の人間たちの心に敏感になるという話があるが、そのへんを難しく考えなくても、単純に、国同士の贈り贈られで、「贈呈品」扱いされては、パンダも切なかろう。

政治家のセンセイたちは、パンダごときがそんなことを感じるわけがないと切り捨てるだろうが、私は祖父から戦争中に処分された動物たちの最期の瞬間を聞いているので(祖父は毒殺された動物たちのための読経を依頼されて、死にかかった檀家そっちのけで動物園にすっ飛んでいった。それほど動物が大好きだったのだ)、「かわいそうなぞう」を思い出すまでもなく、パンダを含めたすべての動物たちには心があると思っている。

従って。上野動物園のパンダたちは、我が国と中国の関係そのものだったのだ。

今、リンリンが死んだことを、我が国と中国の関係にあてはめるとすると、何と色々なことがぴったり符号することか・・・

願わくは、もうパンダのいない上野動物園になって欲しい。

現在、不忍池にはワニガメとか繁殖しているんだから、自前で繁殖出来るものに限って入園させればいいと思う。

記憶を辿ると・・・

中学生の時、気まぐれでぷいっと上野動物園に入った時、どこかの汚いガキどもがガラスをバンバン叩いて、キャーキャー叫びながらパンダの気を引こうとしていた。
それを見て、私は「てめえら、うるせえぞ。代わりにこん中へ入るか?サルそっくりできっとウケがいいぜ?」と叱ってやった。
黙り込むガキどもを睨み、それからガラスの向こうを見ると、やっぱり背中をまるめて、じっと動かなかった。

私の方も名状しがたい寂しさに胸を締め付けられた。

・・・・・・

リンリンのご冥福を心から祈ります。合掌、南無阿弥陀仏。


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