いわゆる、エッチな話題のワイ談。
その中で必ず聞かれるのが、一体どんなセックスをするんですか?というもの。
それに私はこう答えることにしている。
「想像力豊かなセックスをするよ」
今時の若者は、いつの時代かって思うくらいに、想像力の足りないセックスをしているようで、始めから終わりまで正常位の一点張りで済ますのは普通になってきているらしい。
しかも。
クンニリングスも、フェラチオも、ペッティングもエロ本やアダルトDVDで見ただけの知識どころか、そのやり方すらも知らないのがいるというのには、ちょっと人類の未来を憂えてしまうくらいである。
「セックスって飽きませんか?」と若い一人。
「バカ、なんで飽きるんだよ、あんなに気持ちいいものを」と私。
カマトトぶってるんだか、何だか知らねえけれども、私はそいつをムイて、どんなイチモツしてんだととっくり眺めてみたい衝動を抑えつつ、あれやこれやと色々なセックスを紹介してやった。
このシリーズはそうした私のセックス観をまとめてみたもので、セックスにそんなに興味のない若い読者たちの下半身を刺激するのに、少しでも力になればいいと思う。
今回は、「スパンキング」。
ズバリ、女の子、もしくは男の子のお尻を叩くのに、「興味」はあるだろうか?
また、この画像のように、真っ赤に腫れ上がるまで、叩かれることに?
どちらにも「興味」があるのなら、それはきっと、幼少時に私と同じく悪いことをすると、お尻をぶたれた経験が根っこにあるからで、まず何よりもそれを自覚しなければならない。
あの頃のぶたれたシチュエーションを出来る限り思い出し・・・
その時、自分は泣きわめく以外に何を感じていたのか・・・
そういう意味で、スパンキングは単なるSMのプレイにとどまらず、一種の幼児回帰のシチュエーションでもあるわけで、ほんとうに色々な面で自己浄化出来るメリットがある。
実際。
叩くことと、叩かれることで、もやもやしていたものが瞬間的に吹っ飛ぶ。
これ以上のストレス解消があろうか。
ただし、重要なのは、叩く、叩かれるの関係に、絶対的な信頼関係がなければ、ストレス解消の関係は成り立たない。
これは当たり前のことで、もしあなたが全然知らない男性、初対面の教師か何かにいきなりぶたれたとしたら、ストレス解消どころか、殺意を覚えることだろう。
私も同じく、幼少時はどこかの見知らぬおばさんにぶたれた時は、その腕に思いっきり噛みついてやったものだ。
だから、私はお尻を無防備にさらけ出すのは、祖父と祖母、そして従姉だけと決めていた。
両親は放任主義だったから、私のお尻には少しも興味を示さなかった。
ただ、祖父の体罰は、お尻も含めて、全身を竹刀でめった打ちにするという激しいもので、やっぱりお尻のみを画像のようなシチュエーションで的確に叩くのは女性だけだった。
祖母が使っていたのは、籐で編んだ布団叩きで、これがまたとてつもなく痛かった。音も布団以上にイイ音を響かせたし、十回もぶたれたら、まともに正座出来なかったくらいである。
それでも。
悪いことをするのは楽しかったし、痛みは我慢すれば何とかなることを覚えたので、回数が増えても、より我慢出来るようになった。
それがきっかけで、痛みを受けることも楽しくなってしまったのである。
私は基本的にサディストなのだが、同時にマゾヒズムの愉しみも知っている。その原点はやっぱり、こうした幼少時のスパンキングに基づいているわけだ。
こういう風に、自分自身のルーツを深く知り尽くした上で、パートナーと信頼関係を深めつつ、ムードを高めつつ、相手の突き出したお尻めがけて、手のひら、スリッパ、専用道具などで叩く・・・
そして、お互いの感覚がひとつになるように、叩く側は叩かれた側の苦痛にゆがむ表情、悲鳴を全身で味わいつつ、その恍惚を想像して酔うのだ。
さあ、おまえ、もっと見せてみろ、ほんとうのおまえを・・・
ここに、想像力の使い方があると私は確信している。
スパンキングを痛そうだと敬遠するならば、それは単に、あなたの想像力に限界があるのであり、同様に、セックスも限界のあるつまらないものなのだ。
私は女の子に限らず、男の子のお尻を叩いたこともあるが、男の子というものはどんなに痛くしても耐えてしまうので、やっぱり女の子の方が叩きがいがある。
それは当然で、女の子のお尻の方が男の子のそれより、柔らかいからだ。
柔らかいと、みみず腫れの浮き具合が全然違うので、私は細い竹で編んだムチでいかに美しく真っ赤に染め上げるかということも独自に研究してしまった。
こうした話を若い連中にしたところ、ほとんどがドン引きしたけれども、そこまでしないと気持ちよくならないんですかという質問に私は即答した。
「その通り、人間の想像力には果てがない。ということは、性欲も限界がないのさ」
何度でも繰り返そう。
肉欲のみのセックスなど、私に言わせれば、ただの生殖行為であり、人間のセックスではない。
頭を使ってこそ、また、頭だけでセックスをしてこそ、人間であることを思う存分実感出来、人間に産まれたことを感謝するだろう。
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