「手話気が散る」落語家が謝罪
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このニュース。
私も聴覚障害者なので、朝からマイミクさんたち、ニュースコメンテーターとしてお気に入りに追加していらっしゃるという読者さんたちから、意見を求められていたわけですが。
まず。
私は聴覚障害者ですけれども、手話が大嫌いです。
あんなもの地球上からなくなってしまえばいいとさえ思います。
何故か。
今の聴覚障害者たちが手話に頼り切ってしまって、音感を磨いたり、唇を読んだりする努力をしなくなりつつあるからです。
手話さえあれば。
立派にやっていけるという考え方が。
しかも、手話そのものを。
文化のひとつと定義づけるトチ狂い方が。
ほんとうに大嫌いです。
私の世代はですね、まだ手話がはっきりとした形になってなくて、単なるジェスチャーだったんですよ。
それでどうやってコミュニケーションをとっていたのか。
普通に喋ってました。
聞こえないのに何故通じるのか。
唇の動きを読んだからです。
だから、私は今でも遠く離れた人の唇を望遠鏡で見て、何を言ってるのか分かるんですよね。
そもそもですね、自立するためには自らのハンデと闘いつつ、周囲の人と同じ環境でやっていかなくちゃなりませんから、「限りなく健常者に近づく」努力をするのは当たり前なんですよ。
世の中ってのは、福祉支援とか言っても、根本的にえげつないまでに厳しいものですから。
従って。
夢之介師匠の「暴言」程度でこんなに「炎上」するのは、かえって、障害者差別だと思います。
しかも。
手話がかえって「こういう程度」のものだって分かってしまう。
手話は所詮、ツール。
ツールを必要以上に持ち上げるべきではないんですよ。
全盲の方が使う点字にしたって、同じツールですが、必要以上に表舞台に出てくるでしょうか?
そういうことなんです。
聴覚障害者だから、手話しか出来ません、大目に見て下さいってのは、個人だと通じるかもしれませんが、普通の方もいらっしゃる大勢の会場で、たった三人じゃあ、どう考えたって通じないでしょう。
甘いんです。
だから、黙って、唇の動きを読む努力をすべき。
私は幼少の頃から落語に親しんできましたが、元々、読唇の訓練だったんですよ。
噺家の速い喋り方が読めれば一人前、世間に出ても通用する、エラリー・クイーンの名探偵ドルリー・レーンのようにやっていけるってね。
とにかく、努力さえすれば。
それだけ世間は認めてくれます。
自分自身にも自信がつくしね。
夢之介師匠、お気の毒様、これに懲りず、昔私が子供の頃観た「ガマン大会」の断食コースのレポーターで、「死ぬまで頑張ってもらいます」と言い放って、当時の私を大いに笑わせたように、持ち前の毒舌をこれからもふるっておくんなさい。
この程度で萎縮しちまうようじゃ、師匠じゃありませんぜ。
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