祖母が3か月の孫を絞殺し自首
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=288421&media_id=2
このニュースを見て。
昔、変わった考え方の檀家がいたことを思い出した。
自分の子供や孫に、健常者ではなく、障害者を欲しがっていたのである。
なぜか。
話を聞いた祖父が言うには、障害者は天才になりやすいからとのこと。
つまり、障害を持って生まれてきた者は、ハンディキャップを乗り越えるために、人一倍努力するので、普通の人よりも優れるのだと。
そういう子を持ちたいと・・・
子供心に、私は何とも複雑な気持ちになったものだ。
私も世間でいう障害者(聴覚障害者)なのだが、私はただ、人並みに生きられるように努力してきているだけに過ぎないからだ。
当たり前の努力なのである。
大きくなって、檀家の相談に乗るようになってから。
例の変わり者の檀家と話す機会がやってきて。
私のことをうらやましい、うらやましいと連呼するので、呆れて適当に受け答えしていると、とんでもないことを言い出してきた。
「ねえ、障害者ってさ、どうやったら産めるんだろうね?」
「まさか、あんた、嫁さんに産ませようってえんじゃねえでしょうね?」
「出来たら・・・」
私はブチ切れると創価学会を相手に大暴れしたように、殴る蹴るの乱暴を働くのだが、この時は。
ただ、黙って、悲しげなまなざしで檀家をじっと見つめるだけだった。
それに気づかないのか、檀家はやれ水銀だとか、やれサリドマイドだとか、果ては下腹部に打撃をくわえることまで嬉しそうにしゃべりまくっていた。
次の機会。
お孫さんが産まれたという例の檀家と話をした時。
不本意ながら健康な健常児だったということを愚痴られ、私は思わず安堵の笑みを浮かべ、檀家に向かってこう言ってやった。
「あんたのようなタワケにゃ、神様のように優れた子供は永遠に授かりっこありませんや」
・・・・・・
障害者を欲しがるのも。
障害者を欲しがらないのも。
すべて、親の都合である。
そして、世間体への見栄でもある。
さらに、子供への過剰な執着でもある。
世の中のすべての親は、これらの点で、地球上の生物で最も下等だと悟るべきだ。
子供は生まれ落ちた瞬間から、子供の人生を生きるのであり、親は子供の肥やしになるのが当たり前なのだ。
その点。
私の両親は、良くも悪くも、動物としての愛情を注いでくれた。
即ち、両足で立って歩けるようになったら、どこへでも行け。
また、自分でものを考えられるようになったら、自分で物事を判断しろ。
後はおまえの人生だ、勝手に生きろ・・・
小さい頃は、あまりにぞんざいな扱い方に、すごく不満を覚えたものだが、今ではほんとうに感謝している。
私が聴覚障害者でありながら、健常者よりも何倍も生きることが易しいのは、まず、親の育て方が効果的だったと思っている。
これが、このニュースみたいに不憫だからと首絞められたり、障害者だからと過保護に扱われていたら、私という人間はとっくの昔に存在していないだろう。
生きるということがどういうことなのか。
私の両親と祖父母は幸い、それをよく理解していた。
従って。
自分の勝手な思い込みで、生きるということを理解出来なかったニュースの犯人と、せっかく生まれてきたのに殺されてしまった子供を、心の底から気の毒に思う。
合掌、南無阿弥陀仏。
・・・・・・
生命力というものは、それ自体が「奇跡」のごとく、障害など問題にならぬくらいに力強いということを、一体どれだけの親が理解出来るだろう。
生まれ出ることの素晴らしさと、生きることのありがたさを軽んじすぎてはいないだろうか。
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