敬老というか、長寿のお祝いに赤飯を配る。昔と違って、今は電子レンジで温める「チン赤飯」なので、配る側もずいぶん楽になった。しかも9月いっぱいに持って行けばよいことになっている。
昔は、ほとんどが家族と一緒に暮らしていたから、夕方に持って行けば誰かが家にいて、そのまま置いて帰ることができた。それでも民生委員だけでは手が足りず、町会の役員も手伝っていた。
ところが今は事情が違う。妻が受け持っているのは70軒。老夫婦だけ、あるいは一人暮らしの家が多い。不在のことも多いし、在宅していても、用心して知らない人には応答しないこともある。
昨日は午前中に鉄工所のバイトに行った。午後は妻の赤飯配布に付き合った。自分は車の運転手である。一番遠い家でも歩いて15分くらいだが、荷物を持って一軒ずつ回り、不在ならまた出直すとなると、車がなければとてもやっていられない。15軒ほど付き合ったが、それだけで2時間かかった。
もちろん、ただ赤飯を渡して終わりではない。在宅していれば、そこで話が始まる。高齢者の家を訪ねるのだから、むげに切り上げるわけにもいかない。結果として、赤飯を配るという仕事より、その周辺にかかる時間の方が長くなる。
「不在ならメモを残しておけばいいんじゃないか」と言った。夜になって、2軒から電話がかかってきた。結局、また持って行くことになり、それだけで30分かかった。
これって、どうなのかなと思う。もちろん、地域の高齢者に声をかけること自体には意味がある。赤飯を届けることが、安否確認のきっかけになることもあるだろう。だから、単に「効率が悪いからやめればいい」とも言えない。
しかし、こうした細かな仕事まで無償のボランティアに支えられているのを見ると、民生委員の成り手が減るのも無理はないと思う。高齢者が増え、一人暮らしも増えているのに、地域の仕事だけは昔のやり方が残っている。
今年も一軒、赤飯を持って行ったらお通夜だった。お通夜に赤飯というのもね。去年も同じことがあった。新聞は毎日見ているが、お悔やみ欄に載らないこともある。亡くなったことを知らずに、祝いの赤飯を持って行ってしまうことは避けようがない。
不謹慎ではあるが、あまりにも間が悪くて隣にいて笑ってしまった。
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