日曜日の本番指揮者による練習で、隣にいたバスの人が楽譜を見ていた。彼はほとんど暗譜しているはずだ。発声もいいし、音も正確で、バスパートの核になっている人である。だから、音を取るために楽譜を見ているわけではない。
一方の自分は、譜面台に楽譜を置いてはいるが、たまにちらっと見る程度で、あとはほとんど指揮者を見ている。ふと気がつくと、隣の彼は、ガン見とまではいかないものの、かなり真面目に楽譜を見ている。
「今さら、彼の音やテンポが違うはずもないのに」と思った。しかし、あとで考えてみると、やはり真面目なのだろう。楽譜に書かれたものを正確に歌おうとしているのだ。
それに対して自分は、多少うろ覚えでも、とりあえず歌ってしまう。違っていたら、指揮者から指摘されるだろう。ピアノや他のパートと合わなければ、自分で「あ、違った」と気づいて修正できる。むしろ、そのほうが次につながると思っている。
以前、別の合唱団で、間奏のピアノが流れている間も楽譜をじっと見ている人たちがいた。指揮者が苦笑しながら、「そこは見なくてもいいでしょう」と言ったことがある。考えてみれば、その通りである。間奏中に楽譜を見ていても新しい情報はない。だったら、音楽の流れを感じ、次の入りを予測し、指揮者を見るほうがいい。
もちろん、楽譜を持って歌うことが悪いわけではない。ただ、楽譜を見なくても歌える状態にしておき、必要なときだけ楽譜を見るのが理想なのだろう。
楽譜は、音楽をするために見るものだ。楽譜を見ること自体が音楽ではない。指揮者を見る。周りの声を聴く。自分の声を聴く。そして全体の流れを感じる。
今さらながら思う。やっぱり、暗譜が基本なんだよな。
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