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2026年07月14日06:17

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大阪へ通った5年間,なにわコラリアーズで学んだこと(7031)

大阪の男声合唱団「なにわコラリアーズ」が、2010年1月30日に山口県で「ただたけだけコンサート Vol.2」を開催した。中原中也の生まれ故郷で、中原中也を題材にした多田武彦作品3組曲を演奏するという、実にユニークな企画だった。その演奏会では、ご当地団員を公募するという案内が全日本合唱連盟の機関誌に掲載されていた。

確かVol.1は京都・長岡京で行われたと記憶しているが、一人の作曲家だけを取り上げた演奏会という発想そのものが新鮮だった。当時は、なにわコラリアーズが全日本合唱コンクールで10年連続金賞を受賞している全国屈指の合唱団だということも知らなかった。

問い合わせると、「何か歌った録音を送ってください」と言われた。しかし、その頃はまだ声楽は始めておらず、合唱でもソロを歌った経験はほとんどなかった。唯一あったのが、女声合唱団とのジョイントコンサートのポピュラーステージで歌った「アカシアの径」の録音である。それを送るしかなかった。「これでだめなら仕方がない」という気持ちだった。

幸い参加を認められ、大阪へ通う日々が始まった。

最初の練習で受けた衝撃は今でも忘れない。土曜日の夕方の3時間半、休憩は5分ほどが一度だけ。しかも全員ずっと立ったままである。発声練習から徹底してアンサンブルを作り、一曲につき2、3回合わせると次々に先へ進む。パート練習も音取りもなく、「合わせ」が練習の中心だった。

新しく入った団員の紹介も特別なフォローもない。毎回練習録音が送られてきて、「次回までに歌えるようにしてきてね」というスタイルである。練習は音を覚える場ではなく、音楽を作る場。その考え方が徹底していた。

もっとも、このやり方はすぐに慣れた。それまで何度か八ヶ岳ミュージックセミナー(8月)に参加し、全国レベルの厳しい練習を経験していたからである。

自分はこの演奏会だけの参加のつもりだった。ところが終演後の打ち上げで、指揮者から「定期演奏会もどう?」と声をかけられた。軽い調子だったので半ば冗談かと思ったが、思わず「お願いします」と答えていた。

当時は金沢メンネルコールの団長を務めており、練習日は同じ土曜日だった。当然、どちらかを選ばなければならない。最終的にはさまざまな事情もあって金沢を退団し、大阪へ通う道を選んだ。

それから5年間、大阪へ通った。曲によってはパート練習もあったが、基本的なスタイルは変わらない。立ったままの長時間練習、休憩はわずか5分、そして「練習は合わせの場」という姿勢である。

地方で30年近く、ほとんど独学で合唱を続けてきた自分にとって、その環境は時に大きなコンプレックスを感じる場所でもあった。「なぜ自分はここまでして歌っているのだろう」と思うことも何度もあった。

それでも、あの厳しさの中で学んだことは、その後の自分の合唱観を大きく変えた。**練習は音を覚える場ではなく、音楽を磨く場である。**その考え方は今も自分の中に深く根付いている。

30年以上歌ってきた当時の自分にとっても、あの5年間で経験した厳しさは、それまで味わったことのないものだった。そして、その経験は今もなお、自分の歌い方や練習への向き合い方の土台になっている。


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