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2026年07月11日00:03

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ドイツ第三帝國兵器シリーズ53 80cm列車砲

 80cm列車砲(80-cm-Kanone(E))は、第二次世界大戦でドイツ陸軍が実用化した世界最大の巨大列車砲です。本来3両造られる計画でしたが、3番砲は未完で終り、2両のみが製造されました。1両目はクルップ社会長グスタフ=クルップの名前から“Schwerer Gustav”(シュヴェラーグスタフ;重いグスタフ)、2両目が設計主任エーリヒ=ミュラーの妻の名前から取られた“Dora”(ドーラ)の愛称を持ちます。
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 この兵器は、第三帝国が成立した1934年にフランスのマジノ線攻略を目的として、陸軍の依頼を受けたクルップ社で開発が始まりましたが、余りにも巨大なため開発は難航し、1940年5〜6月に行われた対フランス戦には完成が間に合っておらず、仮にマジノ線への総攻撃が行われていたとしても実戦投入の機会はなかった事になります。同年10月に実施が計画されていた英領ジブラルタル攻撃(フェリックス作戦)への投入が予定されていましたが、やはりこの時点でも未完成でした。
 1941年に漸く1番砲が完成し、同年9月にマグデブルクアンハルト大管区ヒラースレーベン(Hillersleben)近郊の実験場にて最初の試射が行われました。その後、砲はポンメルン大管区リューゲンヴァルデ(現ポーランド領ダルウォボ)の射撃試験場に移送され、試射と運用訓練が行われています。
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 この砲の総重量約1350t(1500t説もあり)、全長42.9m(全砲身長含めば47.3m)・全高11.6mに達しました。砲は砲身長32.48m・砲口径80cm(口径長40.6)のカノン砲で、榴弾とぺトン弾が使用出来ました。
 榴弾は、重量4.8t・初速820 m/s・最大射程48km・爆薬重量700 kgで、クレーターサイズは幅10m・深さ10mに達しました。
 ベトン弾は、砲弾本体はニッケルクロム鋼で、ノーズコーンはアルミニウム合金で出来ており、全長3.6m・重量7.1 t・初速720 m/s・最大射程38km・爆薬重量250kgで、厚さ7mのコンクリートを貫通する威力がありました。
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 これだけ巨大な砲弾を運用する訳ですから、装填には時間が掛かり、発射速度は1時間に3〜4発でしかありませんでした。砲弾の輸送のためには専用の貨物列車が必要で、砲身寿命も短く、100発程度の使用で400tある砲身の交換が必要になりました。
 発射の反動は5軸10輪の台車8台で駐退復座装置と合わせて吸収する方式で、台車は大型の貨車を4両(台車8台)使用し、射撃陣地に敷設される専用線路はレールが4本必要でした。さらに、組み立て時には列車砲自身の走行する4本のレールに加え、輸送用の貨車の走る通常の軌道も必要で、これらの6本のレールを挟んで1本ずつ敷設される計2基の組み立て用クレーン(吊り上げ容量10t)の走行するレールの計8本のレールが必要とされました。
 砲の移動には専用のディーゼル機関車D311型2両を使用し、長距離の移動の際には分解されて運ばれました。その巨大さ故に運用には多大な時間がかかり、実際の砲撃に先立つ整地、レールの敷設、砲の移動、組み立て等に数週間も要しました。この巨大な列車砲を稼動させるには、砲自体の操作に約1400人、防衛・整備等の支援に4000人以上の兵員と技術者が動員されており、歩兵部隊であれば旅団規模の人員が必要だったのです。コスパは最悪と言えますね。
 なお、80cm列車砲は、カノン砲としては世界最大ですが、単純に砲口径だけで比較すれば、世界最大なのはアメリカ軍が製造したリトル=デーヴィッド(Little David)迫撃砲の36インチ(91.4cm)砲です。但し、砲身長・砲重量・砲弾重量等の点で言えば、80cm列車砲の方が遥かに巨大です。
 1942年1月、運用部隊として部隊長R.ベーム大佐麾下の第672重砲兵隊(E)が編成され、同年2月には1番砲グスタフをクリミア半島のセヴァストポリ要塞攻囲戦に投入する事が決定されたため、第672重砲兵隊(E)は拡大再編成されて出撃しました。ベーム大佐は少将に進級し、文字通り旅団規模の部隊となったのです。
 分解された機材は3月初旬から搬出を開始し、同月下旬より順次現地に到着、4月中には運用のための専用線他の構築が完了して、5月には砲の据え付けを開始、6月5日には発射準備が整いました。
 こうして、同年6月6日に初の実戦が行われ、グスタフは10mのコンクリートに防護された地下30mの海底弾薬庫にぺトン弾を命中させてこれを破壊、6月17日にはマキシム=ゴーリキー砲台の30.5cm砲塔に命中弾を与えています。
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 この一連の戦いに於いてグスタフは要塞から16kmの距離から48発を発射し、攻囲戦の後に施条の摩耗により寿命の尽きた砲身を交換、その後レニングラード包囲戦に参加するためレニングラードの郊外に移動、1943年まで待機状態でその地に駐留しました。
 2番砲ドーラは1942年に入って完成し、1942年8月中旬にスターリングラード攻防戦に参加するためスターリングラード郊外に展開し、同年9月13日には発射準備体制を完了させましたが、同年11月にはパウルス上級大将麾下の第6軍がソ連軍に包囲される戦況の急変があったため、撤収しています。
 以後も、グスタフ・ドーラ共に重砲兵部隊の展開が行われた作戦の度に投入が検討されましたが、移動と展開、そして射撃準備に膨大な人員と資材、そして週単位の時間が必要な事から、計画される度に中止され、戦争後半になるとドイツ軍が制空権を失った事から、移動する事すらままならなくなって行きました。1944年8月のワルシャワ蜂起鎮圧にもカール自走臼砲《https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976227703&owner_id=250900》と共に投入が計画され、出動準備の段階まで移行していましたが、最終的に投入は見送られました。
 グスタフ・ドーラ共に1945年4月には連合国軍に鹵獲されることを避けるために爆破処分され、グスタフの残骸はケムニッツの近郊でソビエト軍に、ドーラの残骸はニュルンベルク近郊でアメリカ軍によって発見・回収されましたが、回収された残骸のその後の行方は不明です。
 なお、3基目は砲口径を52cmに減少させた代わりに砲身長を43mにまで増加した長砲身型(口径長82.7)に変更される予定でした。この砲は通常の砲弾だけではなく、弾体にロケットモーターを内蔵したロケット補助推進弾を発射可能で、発射重量680kgの弾体を最大射程190kmの距離に投射する事が出来るとされていましたが、結局完成せず、砲の一部だけが戦後になってノルトラインヴェストファーレン州エッセン市のクルップ工場で発見されています。
 80cm列車砲は、要塞攻略等、その運用に適した戦闘においては圧倒的な破壊力を示しました。当時これに替わりうると考えられていた航空機による爆撃には、航空機自体の脆弱性や全天候行動能力の限界、爆撃の命中精度などの問題がありましたが、列車砲の場合、敵航空機の脅威がなければ確実に敵を殲滅出来るだけの攻撃を敢行する事が可能だったのです。但し、爆弾の重量や爆薬量等の威力面に於いては爆撃機の使用する航空爆弾の方が遥かに高く、一例としてイギリスのグランドスラム爆弾は約10tもの重量があり、本砲の使用砲弾の二倍以上の重量を誇りました。また、80cm列車砲は既述の通り極めて使い勝手の悪い兵器であり、またドイツが制空権を失ったため実力を発揮する場面は僅かでした。大きなコストを必要とするにも拘らず、敵機の空襲に対しては全く無力だった点がこの砲の最大の欠点だったのです。
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