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2026年06月28日06:22

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ハンドボールが結んだ縁(7003)

大学を卒業してすぐ教員になったが、1年で高校へ異動になった。講師ならともかく、正規採用で1年での異動はまずない。管理職にとって手に負えない厄介者だったのだ。

「中学校ならどこでも」と管理職に言われたが、「まだやることもあるので、高校なら考えますが、中学校には行きません」と答えた。すると示されたのが、自宅から25kmほど離れた、開校3年目の新設高校だった。

赴任すると、男子ハンドボール部の顧問を頼まれた。中学校経験者がそろっていたことと、5年後にその高校が全国インターハイの会場になるため、その準備に携わる顧問が必要だったらしい。一番若いというだけの理由で自分に回ってきた。

ルールも知らない競技で、最初は名前だけの顧問のつもりだった。ところが、実業団でキャプテンを務め、結婚を機に地元へ戻ってきた女性コーチが加わった。これなら自分も勉強しなければと思い、練習を見ながらルールや指導法を覚えた。しかし、女性コーチということもあって部員の態度はよくなく、「それなら自分たちでやれ」とコーチは去った。自分も大会の引率だけを務めるようになった。

翌年には別の部の顧問になる予定だった。ところが夏休み前、女子生徒7人が「女子ハンドボール部を作ってほしい」とやって来た。男子で懲りていたので断ったが、「同好会でもいい。顧問がいないと始められない」と頼まれ、生徒会担当の教員からも後押しされた。

そこで、「正式な部にするなら男子と合わせて顧問をする」という条件で引き受けた。

経験者は1人だけ。他は友人に誘われて集まった初心者だった。それでも、帰宅部ではなく何かに打ち込みたいという気持ちは伝わってきた。引き受けた以上は中途半端にはできない。近隣の高校へ連れて行って練習に参加させてもらい、自分自身も横で学んだ。翌年には中学校経験者が2人入学し、ようやく大会に出場できるチームになった。

昨日集まったのは、その最初の大会に出場した女子部員8人。みんな60〜61歳になった。全員が地元に残り、半数とは年賀状のやり取りを続けていたが、卒業以来初めて会う人もいた。

近況報告で盛り上がった。家庭を持ち、まだ仕事を続け、孫の話が飛び出す年齢である。それでも自分は旧姓しか知らないので、そのまま呼ぶと、すぐに高校時代の空気に戻る。

「また来年も集まろうね。」そう言って別れた。

彼女たちの後輩には自分は監督だったが、彼女たちとはどこか同期のような気持ちがある。彼女たちが職員室を訪ねて来なければ、自分はハンドボールにここまで関わることはなかっただろう。青年海外協力隊でハンドボールを教えることも、クラブチームのGKとして全国大会に出場することも、定年まで競技に関わり続けることもなかった。

自分の人生を大きく変えたのは、あの日「女子ハンドボール部を作ってほしい」と言ってきた彼女たちだったのだと思う。40年の歳月を経て、そのことを改めて実感し、少しホッとした。
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