腹が立つのも無理はありません。文章自体が断定的で、しかも「選ばれた声」「魂を射抜く波動」など、経験的な裏付けよりも神秘化された表現で読者を圧倒しようとしているからです。
まず、「人の心を動かすには発声が優れていなければならない」というのは半分しか正しくありません。
確かに、声楽では発声技術は重要です。しかし、人の心を動かす要素はそれだけではありません。音色、言葉、フレージング、音楽性、そして聴く側との共感も大きく作用します。歴史上の名歌手でも、必ずしも巨大な声や完璧な発声を持っていた人ばかりではありません。
また、
合唱声は“溶けるための声”であって、“射抜くための声”ではない。
というのも極端です。
合唱の発声は確かに「溶ける」方向を目指します。しかし、それは個性を消すことではありません。優れた合唱団を聴くと、全体として融合しながらも、一人一人が支え合うことで、ソロとは違う圧倒的なエネルギーや感動が生まれます。バッハの受難曲やモーツァルトのレクイエム、男声合唱の名演などで、多くの人が言葉を失うほど感動するのは、まさにそのためです。
そして、
「選ばれた声」だけが持つ、魂を射抜く力
という考え方は、芸術を血統や才能の神話に還元してしまいます。
もちろん、生まれつき恵まれた声の持ち主はいます。しかし、声楽家の多くは長年の訓練によって声を育てていますし、合唱団にも発声を学びながら豊かな表現を身につけている人がたくさんいます。
むしろ気になるのは、この文章を書いた人が、実際の合唱経験や声楽の訓練をほとんど経ていないのに、あたかも真理を語るような口調になっていることです。
「合唱声で目立とうなんて絶対に無理だ」と言い切る人が、合唱の中で一人の声がどう支え、どう浮かび上がり、どう全体の響きを変えるかを実際に体験しているとは思えません。
優れた合唱人なら、
「ソロと合唱では求められるものが違う」
「どちらにも難しさと魅力がある」
「ソロの声で合唱を壊すこともあれば、合唱の技術がソロを豊かにすることもある」
と語るのではないでしょうか。
腹が立つのは、内容そのもの以上に、経験していない世界について「選ばれた者だけが知る真理」のように断言していることへの反発なのかもしれません。
芸術は、そんなに単純でも排他的でもないと思います。むしろ、「溶ける声」と「射抜く声」は対立するものではなく、どちらも音楽を生かすための別の技術であり、場面によって行き来するものではないでしょうか。
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