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2025年12月26日18:16

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「朝青龍の天敵」ばかりの横審と言う印象だった。

脚本家の内館牧子さん、急性左心不全で死去 77歳 女性初の横綱審議委員会委員
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8610663
脚本家・作家の内館牧子、亡くなる、ですか。今月17日に急性左心不全で死去とのことで、享年77とのこと。昭和23年、秋田県の出身で、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科を卒業後、三菱重工業勤務を経て40歳にして脚本家デビュー。朝ドラの『ひらり』や大河ドラマ『毛利元就』、『想い出にかわるまで』、『週末婚』などの話題を生んだ作品に関わり、小説家としてむ活躍する一方、『ひらり』が大相撲とその周辺を題材にする作品だった(平成4年度後期放送で、所謂「若貴ブーム」の初期にあたる)こともあり、好角家としての一面でも注目を集め、その縁から平成12年から10年間、女性として初の横綱審議委員会のメンバー(委嘱された当時の理事長は時津風親方(元大関豊山))を務めました。
しかし、その任期での仕事の大半は朝青龍が第68代横綱に昇進する時期に重なっており、その振る舞いや言動をめぐって批難を繰り返し、その汎ゆる事柄に於いて、「品格の欠如」、特に本場所での実績や功績について「まぐれ」など断罪するなど、実質的に「朝青龍批難」に終始していたような内容と言う印象で、ゆえに「私自身朝青龍に対し『現役力士』として、『横綱』としても一切認めていない」とまで発言したほどでした。その在り方、加えて「横審に所謂“好角家”が入ること」への批判が集まることにもなったと思います。
もっとも、平成14年の一月場所前の横審稽古総見の際、第67代横綱武蔵丸が前日までプロレスやラグビー観戦をしていながら、その当日に左手首の故障を理由に稽古総見を欠席したことを「社会人として最低。あんな横綱に優勝してほしくない」と批難、武蔵丸を庇った師匠の武蔵川親方(第57代横綱三重ノ海。後に日本相撲協会理事長) に対しては「気分転換をしても構わないが、それならば公式行事をサボらないで欲しい」と抗議したことが理事長に聞き入れられ、以後の横綱大関は入院でもしていない限り、「稽古総見は原則的に出席すべし」とされるようになったので、それが横審在位時期の“実績”となったとも言えるでしょう。朝青龍についても、平成15年の一月場所で2場所連続優勝を果たし第68代横綱に昇進した際、同場所後の横審定例会では「今回、昇進させなければ、今後誰も横綱に昇進させられなくなってしまう」と昇進自体には賛成した一方、「問題は『客のために相撲を取っているんではない』などの言葉。品格をしっかりと直してほしいと注文した」と発言、当時の師匠の高砂親方(元大関朝潮)には横綱の品格面で一層の指導を要求、「大相撲には相撲道の精神がある。それを無視し続けていた朝青龍と、ビシッとした態度を全く取らない師匠(高砂親方)がいるから、私は毎回鬼のように怒らなきゃならなかった」と述懐したとか。
朝青龍は、モンゴルで訃報を受け、「77歳。想定外ですね。ご冥福をお祈りします。まあ、たくさん思いがあって…最強の人物でしたからね。花を捧げた人間としてというか。嫌いとかそういうのではないんですよ。人生面白いですね」とコメント、八角理事長(第61代横綱北勝海)は
「突然の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
内館さんは、平成12年から約10年間にわたり横綱審議委員会の委員を務められ、その鋭くも温かい視点で、大相撲を支えてくださいました。また、脚本を担当された連続テレビ小説『ひらり』などを通じて、相撲界の魅力を広く世に伝えていただいただけでなく、後年には大学院にて相撲史を研究されるなど、大相撲の伝統と文化を深く愛し、その継承に多大なご理解を寄せていただきました。
これまでの多大なるご貢献に深く感謝いたしますとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」
と追悼文を寄せたとか。
ブルドッグさながらの表情で、大相撲に厳しい視線を浴びた人ですが、賛否両論あった人だと思います。合掌。
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