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2019年10月31日10:34

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禁煙16日目 下野 大中寺秘書 『快庵的傳大中寺禪室内秘書』の啓示。(特選)

大学生のころ、夢を見ました。

殺人犯として、裁判を受けている。しかし、夢の中の設定だから、それだけ。犯行の記憶がない。
弁護士がやってきて、「今日の求刑は無期懲役だったが、判決は負けてくれるのが相場だ。15年だろう。君は、真面目だから10年で仮出獄できる。そう、…さん(当時付き合っていた学部の後輩の女の子)は、君のことを待っているといっていたよ」といいました。

夢から目覚めましたが、何という幸せな気分だったでしょうか。犯行の記憶が夢の中においてすらないですから、癒しが百%です。目が覚めてすら、「十年ということは、ぼくは三十二で、彼女は二十九だ。やり直せるな…」と、何回も考えたほどです。

彼女と別れて、家内と一緒になりました。
しかし、その夢のことは、よく考えます。

仮に現実だとしたら…
まず、無期懲役を求刑されるほどの犯罪を自分が犯すとは考えられません。しかし、もしも、仮に犯したとしたら、反省するでしょうか。
私は、しないと思います。
反省するくらいなら最初から犯罪を犯しません。犯したなら、それなりのやむを得ない事情があったのでしょうから、反省はしないでしょう
だから、この幸福な夢にも、犯した罪を反省するシーンは、全くありません。

つげ義春という漫画家に「ねじ式」という傑作短編漫画があります。夢の女系を描いたもの。あまりにも素晴らしいので、精神分析家、文芸評論家などが何人も分析を試みています。

ところが、本人曰く、「全部、ハズレ」だそうです。

同様に、犯罪はおそらく、言語化できない夢魔のようなドロドロしたところから立ち上がる、他人には入っていけないものでしょう。
何を言ってもハズレになるのではないでしょうか。

『快庵的傳大中寺禪室内秘書』という書物があります。
曹洞宗快庵派の開祖、快庵妙慶の秘伝をまとめた本です。
快庵禅師は、『雨月物語』の「青頭巾」の主人公です。『雨月物語』は、「青頭巾」に至って、快庵が下野の大中寺を開くまでの話、快庵が魔界を解消する話と考えていいです。
その中に、快庵派の秘伝を受け継いだ門菴の教示として書かれた、このような一節があります。

なにせ、鎌倉時代の坊主の方言です。
かなり難しいので、訳を読んでくださればいいです。

「…佛界魔界を云てみさしと。門菴云 先づ是れは 佛界と云は、五十二位を経尽しての説示で走ぞ 夫の佛界には入り易いぞ 扨て魔界に難入と云は 魔界は夫の侭 夫の性で不経不尽直の肌ゑだぞ (中略)魔界の説に到ては 更らに何んとも弁報し難い 何んとも明らめられてこそ程に 爰ゑは佛祖の言句では到られまいぞ 何んと挙すも 夫れは佛界の間だぞとくつと嫌て落る也 学詰る時き 爰に雑談が在る 是を垂示に下也 在る時き 花叟和尚かの御前で 実貞か良屋かの問い 御申しあった 佛界魔界をば 何んと心得申走ず処を 折リ節し 御前に灯籠をともし於いたを ふつと吹き滅し御――る 向う心得さいと被仰たと云心ろも明らめ出るは 佛界よ (中略) 爰は極暗で 何んの弁処も無いところが 魔界たぞ」

訳
「…仏界魔界を述べて見なさい。私門菴は言った。まず仏界というのは、仏になるための五十二の修行をやりつくしての上の説示でしょう。その仏界には入りやすいよ。
さて、魔界に入りにくいというのは、魔界はそのまま、そのものの性質で仏道修行をしていない、個人の体質だよ。(中略)魔界の説については全く何んとも説明できない。説明できればいいのだが、ここへは仏祖の言葉では至れないぞ。何と説明しても それは仏の世界だぞとクッと嫌って、弟子は問答に失格するのだ。
学問が行き詰まっている今、ここに雑談がある。これを下さう。あるとき 花叟和尚の御前で 実貞か良屋かが出した問を話し合った。佛界魔界をどう理解するか。 
そのとき御前に灯籠をともしておいたのを、和尚はふつと吹き消しなさって、こう考えなさいとおっしゃった。その意図がわかるのは仏界だよ (中略) ここはは極暗で 何もわからないところが 魔界たぞ。」

たとえば、健康な男性である私には、幼女強姦魔の心境はわかりません。どう説明しても、どう糾弾しても、それは健全な道徳の側からの言葉です。
この例を挙げたのは、知人にロリコンの人がいて、渡米して精神分析を受けて治したという人を知っているからです。よく、代償性のものだ。成人女性に相手にされないから…と言われますが、彼は道を歩いていると若い女性が、「キャ〜ッ 抱いて〜」と飛びついてくるレベルにカッコいいですし、女性には非常にモテます。代償云々が説を唱えた人の空想でないとしたら、ロリコンAは、同じロリコンBの心理が分からないということです。

だから、個人の体質に関することは、捉えられない。それをとらえられるとすると、反発が当然起きます。

対話であるとか、教育であるとかが、無意味どころか逆効果なのはそこです。
イジメやセクハラが起きるたびに、学校なら授業、企業なら研修をしますが、知っててやっているのですから効果はないですし、相当の反発があると思います。「お前に何がわかるか」という。

他人に意味づけられないということは、自分にも意味づけられないということです。

快庵はそれに対して、どのように解決法を述べているかというと、
「終に開てこそ 向閉じて人の肌ゑ居処が其侭の魔界だ 愁て閉ては 夫の門裡をも住み荒してぞ なぜ――ば 愁一片で打叓無いぞ時き 其の肌ゑをもぬけたぞ 」

「最終的には開くが、このように閉じて人の体質(「肌ゑ」)が存在する場所がありのままの魔界であり、愁いて閉じてその門の裡をも住み荒すべきだ。なぜならば 愁うだけで意味付け(「打叓」)がないとき、その体質(「肌ゑ」)をも抜けるのである。」

意味付けをしてはいけない…ということは、それが個人の体質だということが分かっているということであり、その上で、憂いに沈むのはそれしかないからです。そしてそれしかないものを正確に選択することが、快庵が述べているように「佛界」なのでしょう。

どうしてもわからないものがあります。
たとえば、この『快庵的傳大中寺禪室内秘書』の、二番目の引用「終に開てこそ」が分かりませんでした。『快庵的傳大中寺禪室内秘書』は、東大のN大学院教授の論文がありますが、N氏ですら間違っています。
考え続けたら、方法が降ってきて解けました。方法を先に考えると狭くなり、ダメです。
プラトンのidea界ではありませんが、この「降ってくる」というのこそが佛界の現象であり、誰に対してもそういう現象があるから、山川草木悉皆成仏(全ては仏だ)というのでしょうね。

だから、最初に方法を考えるのではなく、自由な心境で、何かが降ってくるまで対決する。
昨日の日記の『不動智神妙録』が述べているように、
心が氷のように固まってしまうからです。

禁煙の方法を考えず、意識しなかったからうまくいったようなものです。
ところが、うまくいった所以をこのように言語化しようとすると、吸いたくなるのですね(笑)

昨日、必死で我慢しました(笑)

快庵の肖像は現存しません、写真は、大中寺です。

(つづく)

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