これほどマグロが高級魚になったのは、締め方や保存の仕方に、零細漁民と零細寿司屋や料亭(一流飲食店はどんな名代の店でも零細です)の努力と工夫があったからです。
詳しくは言えませんが、
東京の近県で締め方や保存が悪い「新鮮な」マグロを食べたことがあります。
まあ、食べられたものではなかったです。
血の匂いがプ〜ンとして、とっても、生臭いし、身が焼けて筋が固くなっています。
話によると、マグロは取ったら、脊椎をすぐに完全に締めて、すぐに血抜きするのですが、
早ければ早いほどいいその方法は、独特の工夫があるといいます。時間が少しでもかかったら、血合いを中心に血が回り、たとえ冷凍しても腐敗が始まります。
江戸時代は、漁師によって締め具合が違っていて、冷蔵庫がなかったので、ズケで流通しました。ところがズケの作り方も、その漁師の締め方に合わせて違ってきたといいます。
料理店は、ブロックを買います。
冷蔵せずに、発泡スチロールなどに、ラップで包んで氷と共に十日も寝かせないと、あの濃厚な味は出ないそうです。
赤身はズケで食べられますが、最も技術による差がでるのは、トロだそうです。
その工夫が始まったのはがいつごろか…というと、
志賀直哉『小僧の神様』では、秤屋の番頭が「マグロの脂身」という表現を使い、そろそろ時期だから食べたい…と言っています。
『小僧の神様』は、大正九年。志賀直哉の出世作。学習院の同人雑誌として名高い、大正文学の流派の名前にもなっている「白樺」が初出です。
まだ、大正期には、「トロ」といういい方もなく、秤屋の給料取りも食えるほどの庶民的なモノでした。
猫マタギ(猫ですらまたいで透る。それほど、不味い)の脂身が
三井物産の社員が「トロ」と名付けて、ゲテモノから寿司ネタとして定着するのは、昭和になってからです。
つまり、トロは、名もない職人たちの発明品といっていいでしょう。
世代的には、今、親方の、板長の、と尊敬されて、政財界の大物をうならせる高級店の料理を仕切っているレジェンドたちが師事した師匠の時代です。
ですから彼らの工夫と試行錯誤の詳細は、まだ生きた証人がいます。存命のレジェンドたちが、若い衆として修行したのは、昭和40年ころ。ちょうど、トロをうまく食べる工夫がほぼ完成しつつあるころですね。
大手水産会社の枠だけに真剣になり、沿岸漁業という、今日のトロを作った方々のご子孫を冷遇するのには強い違和感を覚えざるをえません。
大手と大手と結託した官は、一番おいしいところをかっさらうのが習いです。
※ だからこそ、新テストの出題方法に、画期的なアイデアを持っていますが、ここには書きません。大手受験産業や入試センターは、人のアイディアをシレ〜ッと盗んで終りだからです。
結局、マグロ漁師や板前さんが人が好過ぎたのでしょうし、消えつつある築地というコミュニティが、利害をある程度離れて機能していたせいもあるのでしょう。
お蔭でうまいマグロが食べられます。
■クロマグロ漁獲枠、拡大認められず 台湾枠を無償移管
(朝日新聞デジタル - 09月07日 17:22)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5779544
そう考えると、近大マグロは、偉大です。
漁獲枠などの、国際社会のせめぎ合いとは、全く無関係だからです。
近大マグロは、すぐに締めるという漁師さんたちや仲買いさんたちが会得した結論を発展させて、釣りあげるとき電気針を使い、食いついたら電気で瞬殺するそうです。
おもしろいことに死んでも神経が残っていたら味が落ちるそうで、漁師さんたちも神経抜きをしますが、近大は三分以内で、神経と血を完全に除き、身は氷詰めするそうです。
銀座店を仕切る板長さんは、もちろん、銀座の料理屋や寿司屋の流れを汲んだ人で、正統かつ最新の技術でネタを寝かせているそうです。
近畿大学水産研究所 銀座店
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13163056/
全てのマグロに、「卒業証書」がついています。
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