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初めて観たのは2001年だったから、九年前に観たわけだ。
当時の感想は正直、「こんなもん?」と拍子抜けだったのだが、それは私自身が刺激のみを求めていたからで、人間の何たるかをまだ理解していなかった。
つまり若かったのである。
今一度、見返してみたところ。
私は不覚にも涙してしまった。「キャリー」の狂った母親そのものの、エドのママの逃れようのない血の呪縛。それに愛でしか応えられなかったエド。
まさにロバート・ブロック、アルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」の原点がそこにあった。
そして、殺した中年女の皮を被って、月の下へ出て悦に入るシーン。
トビー・フーパーの「悪魔のいけにえ」と比べて、不格好さがかえって、エドの哀しさを浮き彫りにしていて、猟奇的ながらも感極まる何かがあった。
エド・ゲインはアメリカの犯罪史上最悪のシリアルキラーとされている存在で、死後十数年経った現在においても恐怖の対象である。
それがゆえに、あちらでは切手だの、絵はがきだの、Tシャツだのが販売されていて、テキサス在住の友人からエド・ゲインの似顔絵入りはがきをもらった時は苦笑いしか出てこなかった。
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そんなエド・ゲインを演じたのはスティーヴ・レイルズバック。
顔は知っていても、名前は覚えていなかった俳優の一人だった。初めて彼を観たのは、自分でも驚くべきことに、70年代で、オフクロと一緒に観に行った「ヘルター・スケルター」である。
ビートルズの曲に同じタイトルのがあって、大ファンのオフクロはビートルズ映画だと思い込んで、私を連れて行ったのだ。実際、ある意味ではビートルズ映画なのだが(マンソン事件のきっかけはビートルズのヘルター・スケルターなのだそうである)、オフクロはスクリーンいっぱいに映るマンソン役の狂気の視線に耐えられずに、小学二年生の私の手を引っ張って、劇場を出た。
この映画でマンソンを演じていたのが、若きスティーヴ・レイルズバックで、それを知った今、私は深い感動を覚えている。
次にスティーヴと再会したのは、トビー・フーパーの「スペース・バンパイア」。
しかも主演。それなのに、彼の名前を全く知らなかった。それは考えてみれば当たり前で、ミイラになったり、相手の精気を吸って元通りになったり、宇宙人をストーカーしたりと忙しかった彼を追うのに精一杯で、じっくり注視するヒマがなかったからだ。
その次に再会したのは、Xファイル・セカンドシーズンの「昇天」。
スカリーを拉致して自分の身代わりに宇宙人に差し出そうとするバリー役を熱演していた。この時に「スペース・バンパイア」の人だと気付くべきだったのだが、“あまりにも顔が変わりすぎていた”。
その眼差しはチャールズ・マンソンを演じていた頃から変わらないのに。
それは俳優として演技の幅が広がったということなのだろうが、異常な役ほど、俳優としての魅力が最大限に発揮されるのもまた異常なのではないだろうか。
ちなみに映画「エド・ゲイン」は、スティーヴ・レイルズバックの主演だけでなく、制作総指揮にも名を連ねている。
スティーヴの入魂ぶりがよく分かる構え方で、実際、エド・ゲイン役の演技は決して忘れられないものがあった。
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