ウチはお寺なのだけれども、悪いことをすると地獄に堕ちるとは言わない。
それ以前に、地獄と極楽の二元の観念がなく、ただ死んだらあの世にいくという程度で、死後のアフターケアを商売としながらも、実は生き残った方を世話するのがメインである。
生き残った側としては、死んだ身内が一体どういう世界で暮らしているのか、興味を持つものが少なくない。
実際、祖父が檀家にあの人は地獄に堕ちたんですか、それとも極楽に昇ったんですか、はっきりして下さいと問い詰められたのを目の当たりにしたことがあるが、祖父はあんた方が想像している通りだよ!!と突き放していた。
その通り。死んだ本人にしてみれば、地獄だの極楽だのは全く意味のないものだが、生き残った側にとっては大いに意味のあるものだ。即ち、死後の世界はこの世に現存するのである。
それで祖父は少年マガジンの特集などで地獄、極楽をイラストで展開しているのを蒐集しては、死んだらここに行くんじゃなく、あんたたちがこういう風に考えたがっているのだ、その考え方から自由にならなければならない、そのためには地獄を愉しいと思いなさいと説いていた。
地獄はパノラマなのだ。
私はジャガーパックスの「地獄大図鑑」を祖父に買ってもらって、石原豪人の原色の迫力を心から愉しんでいた。
舌を抜かれたり、釜ゆでになったり、血の池で溺れたり、針の山を歩いたり・・・
そういった責め苦をデカダンな魅力としてとらえ、人間の想像力、死に対する生のエネルギーをポジティヴに感じる。
それこそが地獄のような現世を生き抜くコツなのだと学んだ。
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