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2018年06月27日00:06

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『春は失恋の季節』第2話

『春は失恋の季節』第2話

「カ、カノン、助けて…」
 兄の声にカノンが振り向くと、サガはアケローオス河神から逃げようとして、うつ伏せになった状態で上半身を寝椅子から床にずり落ちさせていた。その腰にはしっかりとアケローオス河神が抱きついている。
「ぐへへへ〜。逃がさんぞぉ、サガぁぁ〜。酒と水を混ぜるように、おれとお前の液体を混ぜようぜぇ〜」
 いやらしい声を出して、河神がサガの腰に頭を擦りよせ、体をまさぐる。
「ちょ…アケローオス様、だめ…そこ、触っちゃいや…!」
 いやいやとサガが身をよじる。
「この…馬鹿河神がぁっ!」
 襲われている兄の姿に、カノンは憤然となって行動を開始した。部屋の中央に据えてあった、高さが七十センチはある、葡萄酒を水で割るための美しい渦巻き模様のついた銀製の混酒器(クラテル)を、
「ふんがー!」
 と、気合いとともに中身ごと持ち上げた。そして中に入っていた液体を一気に河神の頭から全身にとぶちまけた。
「…ぶっ!」
 水で薄められた葡萄酒を全身にかけられ、さすがに泥酔したアケローオス河神も呆然して動きを止めた。サガを解放し、寝椅子の上で体勢を立て直す。
「そぉら、もう一丁!」
 カノンはさらに近くの水瓶(ヒュドリア)を取り、今度は河神の顔をめがけてピンポイントで中身の水をかけた。「ヒュドリア」は水平方向に取っ手が二つ、垂直方向に注ぐための取っ手が一つ付いた、水を汲んだり運んだりするための高さ三十センチほどの容器だ。
「………」
 水と葡萄酒の混じった液体を髪や衣服から滴らせながら、河神は黙って寝椅子に座りこんでいた。
「いい加減にしろよ、この酔っ払い!」
 止めとばかりに、カノンが空になった水瓶で河神の頭をぶん殴る。アケローオス河神は抵抗も怒りもせず、カノンの好き勝手にさせていた。
「何千年前の失恋だか知らんが、いつまでもうじうじうじうじうじうじうじと!頭にカビが生えるわ!ヤリチンの分際で女々しいんだよ、てめぇは!」
「…だって…だって…」
 ぐじぐじとアケローオス河神がべそをかき始めた。
「この季節になると、ヘラクレスにやられた頭の傷跡がうずくんだよぉ…。本気だったのに…。ずっと適齢期になるのを待ってたのに…。結納の品だってちゃんと贈ったのに…。なんであんなぽっと出の男に…ちくしょー、デーイアネイラぁ…」
 泣きながら、河神は傍らに転がっていた酒杯を拾い上げ、酒瓶から手酌で酒を注いでさらに飲もうとした。カノンは酒杯と酒瓶の両方をひったくり、ついでとばかりに酒瓶の中身をアケローオス河神の頭上から洗礼のように注ぎかけた。
「さんっざん女遊びをしてるくせに、今さら純情ぶるんじゃねぇよ!そんなに大切な女なら、操立てして不犯の誓いでも立ててみやがれ!」
「…それはちょっと…かえって欲求不満が…」
「そんな風に誠意がないから振られるんだよ、てめぇは!」
 ガン!とカノンが空になった酒瓶の底を河神の頭に叩きつける。
「ヘラクレスだって貞潔なんかじゃなかったもん…。あいつ、新婚早々、他の女と子供作ってたもん…」
「まだぐちぐち言うか!」
 別の水瓶を取って中身を河神に掛けようとしたカノンだったが、その時、サガが立ち上がった。
 カノンがアケローオス河神に葡萄酒と水をぶちまけたとばっちりを食って、彼もずぶ濡れになっており、着ていた夜着も葡萄酒で赤く染まってしまっている。
「あ〜、取りあえず、アケローオス様…」
 サガが言った。
「風呂に入りましょう」
「…風呂?」
 うろんな目でアケローオス河神がサガを見る。
「こういう時は風呂に限ります!風呂に入れば落ち着きます!」
「そんな単純な…」
「とにかく、風呂です!行きますよ!」
 サガは人並み外れたその膂力で、アケローオス河神の体を「ひょい」と頭上に担ぎ上げた。
「カノン、お前もついて来い」
「おう」
 そうして、「えいさ、ほいさ」と双子たちはアケローオス河神を浴室に運び入れたのだった。

 そして。
「あ〜、落ち着くなぁ〜」
 源泉かけ流しの温かい温泉に肩まで浸かり、ゆったりと手足を伸ばしたアケローオス河神の気分は、入浴によって落ち着いたのだった。
 酒まみれになった髪と体をサガに洗ってもらい、風呂から上がった後にはサガによってミントの香油でのアロマオイル・マッサージまで受けて、河のニンフたちが用意した新しい清潔な衣服に身を包んだアケローオス河神は、再び私室に戻るころには酒臭さもさっぱりと消えて気分を一新させていた。
「ふあ〜、いい湯だった」
 時間をかけて入浴を楽しんだアケローオス河神が、ほてる体を広々とした寝台に投げ出した。
 アケローオス河神の居間は寝室と一続きの構造になっていて、その間は石のつい立てで仕切りをしているのだが、先程まで酒杯やら酒壺やらが転がり、さらにカノンが葡萄酒と水をぶちまけたせいでモザイク細工のされた床もアラベスク模様の絨毯も水浸しになっていた河神の居間だったが、彼らが入浴を終えて部屋に戻ってきた時には綺麗に掃除され、寝椅子も新しい物に変えられ、整然として美しい様子を取り戻していた。彼らが風呂に入っている間に侍女のニンフたちがさぞかし忙しく立ち働いたのだろう。
「あ〜…、なんか、すっかり酒が抜けたな。飲み直すか」
「もう酒はだめです」
 体を起こして迎え酒をしようとしたアケローオス河神に、サガがぴしゃりという。
「でも風呂上がりで喉が渇いた…」
「じゃあ、水を飲んでください」
「水…」
 ぼそりと呟いたアケローオス河神がサガに抗弁する。
「サガ、お前なぁ、水で雰囲気が出ると思うか!?」
「なら、アイスティーを作りますので、それを飲んでください」
「……」
「水とアイスティー、どっちにします?」
「…アイスティー」
 サガのことを「口うるさい世話女房のようだ」と思いつつ、不承不承、河神は選択した。サガはニンフに頼んで茶葉と氷の用意をさせ、アイスティーを作った。現代的なカットグラスに氷を入れ、紅茶を注ぎ、シロップを入れてストローを差す。
「はい」
 サガが差し出したアイスティーを、アケローオス河神は黙ってストローで吸った。
「サガ、おれにもアイスティーをくれ」
「ほら」
 サガが双子の弟にもアイスティーを差し出す。三人は仲良く寝台に並んで腰を下ろし、アイスティーをストローで「ちゅー、ちゅー」と黙って吸ったのだった。
「…ねぇ、アケローオス様」
 アイスティーを半ばまで飲んだところでサガが隣の河神に問う。
「ん〜?」
「デーイアネイラのこと…お聞きしてもいいですか?」
「……」
「今までお聞きしたことがないし…。私たちに思い出話でもすれば、少しは気持ちが晴れるかも」
「そうだなぁ…」
 ため息をついた河神は、飲み終わったグラスをサイドテーブルに置いた。
「じゃあ、今夜の寝物語はそれにするか」
 寝間着代わりのキトン姿になった河神は、布団の中にもぞもぞと潜りこんだ。そして自分の両隣を軽く手で叩く。
「ほら、来い。添い寝してくれるだろ?」
「はい」
 双子たちがまだ子供だった頃、一緒に昼寝をしていた時のように、自分の両サイドに双子たちを寝かせた河神は、昔語りを始めたのだった。

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