『海皇様の海龍愛玩大作戦』第4話
カノンの午後はポセイドンとのポッキーゲームで消費された。夕方になり、執事が入浴の準備が整ったことを知らせてきた。
「風呂とな!?」
ポセイドンがその報告にくわっと目を見開いて反応した。
「よし、シードラゴン!私と風呂に入るぞ!」
「…いいいいいいーっ!」
カノンが飛びのき、ポセイドンから距離をとる。
「結構です!風呂くらい、一人で入れます!」
「よいではないか、よいではないか♪」
どこかの悪代官のようなセリフを吐きながら、ポセイドンは幼児となったカノンの体をひょいと肩に担いだ。
「私が体を洗ってやろう。遠慮せずともよいぞ」
『遠慮とかじゃなくて本気で嫌なんだよぉぉぉ』とカノンは心の中で叫んで手足をじたばたと動かし抵抗したが、結局は海皇に浴場まで拉致された。
その後も、カノンの衣服を自分の手で脱がそうとするポセイドンの手を払いのけながら、カノンは何とか自力で服を脱いだ。こうなったら手早く入浴をすませるまでだと、さっさと熱欲室に向かう。ポセイドンの前でゆっくり裸体をさらしていては何をされるか知れたものではない、という危機感がカノンにはあった。ポセイドニアで通常、入浴と言えば、古代ギリシャ・ローマのように温浴室、熱浴室、冷浴室を巡りながら、塗油室でマッサージを受けたり運動場で体操を行ったりして、時間をかけて行うものなのだが仕方ない。もちろん、こんな風呂を個人の私宅に持てるのはよほどの金持ちだけなので、庶民は公衆浴場に通うことになる。また床が熱暖房で熱くなっているために木下駄を履いて入室するので、浴室にはからんからんと良い音が響くのだった。
「シードラゴン、私が背を流してやろう」
「いいですからっ!」
カノンの拒否を無視し、ポセイドンは海綿に石鹸をつけて木製の座椅子に座ったカノンの背をこすり始めた。古代ローマ時代では石鹸はまだ染色業者などが使う工業用品だったが、海界でも石鹸で体を洗う習慣はすでに導入されていた。
「お前の肌は美しいのぉ。しみやほくろの一つもない。象牙か大理石のようだ」
「はぁ…」
「手触りも実に滑らかで素晴らしい」
「…ひぃぃぃーっ!」
直接、背中や脇腹の肌を撫でられて、カノンの全身がぞわわわっと総毛だった。座椅子から飛び上がり、慌ててポセイドンに向き直る。
「ポ、ポセイドン様、やめてください!」
海皇の手をいささか乱暴に払いのける。
「何だ、感じておるのか?」
「そ、そうではなく…!子供の体に無体な真似は…!」
この体でポセイドンの相手とかマジ勘弁!壊れる!?と慌てふためいたカノンに対し、海皇は悠然と答えた。
「案ずるな。私からお前に手を出すことはせぬ。お前のほうから頼めば別であるがな」
『ぜってー頼んだりしねぇよ!』とカノンは内心で絶叫した。
ポセイドンが正面を向いたカノンの股間に視線を止めた。
「…さやえんどうのような愛らしさであるな。そこも私が洗ってやろうか」
「自分で洗えます!」
慌ててカノンは前を隠した。
「綺麗にするが良いぞ」
しぶしぶながらもカノンは再び座椅子に腰を下ろし、ポセイドンの手を避けながら自分の体を洗った。石鹸の泡を洗い流して、ポセイドンとカノンは熱い湯を張った湯船に一緒につかった。
「おお、そうだ、シードラゴン。思い出したぞ。今日は日本では『いい兄さんの日』なのだそうだ」
「…はぁ」
「どうだ、シードラゴン、私のことを『兄上』と呼んでみぬか?」
「……」
カノンが白々とした視線を海皇に向ける。
「何だ、その目は。お前、アケローオス河神のことは『兄』と呼んでおるのであろう?」
よく知ってやがるな、とカノンが心の中で突っ込みをいれる。神々の情報網はどうなっているのだろう。
「ポッキーゲームで負けた罰だ。それくらいのことはするがよい」
「それくらい」って…今日はずいぶんとおれは譲歩してるよな、とカノンが思う。
海皇が悩まし気に吐息をついた。
「はぁぁ、アケローオスの奴が羨ましい…。私もお前に『兄上』と呼ばれて慕われる経験をしてみたい…」
「…失礼ですが、ポセイドン様。ポセイドン様が私にとって兄のような存在であったことはありませんから…」
「おお、そうであったな!私はお前の兄ではなく、主君であった!」
重要なことを思い出したとばかりにうなずいているポセイドンに対し、「おれの主君はお前じゃなくてアテナだよ」と、カノンは頭の中で反論した。
「よし、シードラゴン、私を『ご主人様』と呼ぶがよい!」
「……」
もちろんカノンはポセイドンを「ご主人様」と呼んだりはせず、早々に湯船から上がって入浴を切り上げたのだった。
その後は夕食になったが、ポセイドニアでは正餐は二、三人が同じ寝椅子に横たわった体勢で、低いテーブルに並んだ料理を取り分けて食べるものとされている。座った姿勢で食べるのは「立ち食い」のようなものなのだ。ポセイドンは当然のようにカノンと同じ寝椅子に一緒に横になり、彼にべたべたと触れながら、青菜のパイ、仔山羊のハーブ風味ロースト、ムール貝の米詰め、ハーブと野菜をブドウの葉に包んで煮たドルマデスといった料理を、「あ〜んvvv」によってカノンに食べさせた。ローマ時代の宴会料理は、ツルの太ももだのイノシシの乳房など、客を驚かせることに主眼を置いて材料や盛り付けの珍しさを競うものが多かったが、カノンはそういう珍味を追及する美食家ではない。彼の日々の食卓に並ぶのはごく一般的なメニューだった。
気の重い夕食を終えたカノンは早めに就寝することにした。寝てしまえばポセイドンの相手をせずにすむ。
「今日はまことに楽しい一日であったな、シードラゴン」
ポセイドンがにこにこと言う。カノンにとっては最悪の一日であった。沈黙したままサイズの合わぬ夜着を身につけたカノンが寝台に潜りこむと、
「添い寝をしてやろうか、シードラゴン」
と海皇が期待の目を彼に向けた。
「必要ないですからっ!一人で寝られます!」
「ふ〜む…一日は短い。お前と過ごす時間がもう終わりとは、寂しいのぉ」
「…それより、本当に明日には元に戻していただけるのでしょうね」
「うむ。私もそろそろソロ邸に帰らねばなるまい。ソレントが待っておる」
ではまたな、と、ポセイドンはカノンの額にキスをして、彼の寝室を後にした。
やっかいな相手がいなくなり、心底からカノンは安堵の息をついたのだった。
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