『河神の誘惑』第7話
サガが定期報告のために教皇の間にあるアイオロスの執務室を訪れたのは、それからまもなくのことだった。
「…というわけで、冥界は今のところ静かなようだ。冥闘士たちも冥界に閉じこもっている。だがこちらからの休戦協定の交渉再開の働きかけは全て黙殺されている。今後どういう動きに出るのか予想がつかない」
「そうか」
「詳細はこちらの報告書に書いておいた」
「ご苦労」
と、アイオロスはサガから報告書を受け取った。
「時に、サガ…」
アイオロスが、内心では冥界の動向よりもはるかに気になっていることをサガに尋ねる。
「アケローオス河神とは、どうなっているのだ?」
「どうと言われても…」
問われたサガは少し困惑したようだった。
「週に二、三回のペースで事務局に顔を出しては、私とカノンを夕食に誘ってくださる。時には映画や観劇に連れて行ってくれて…。カノンの都合がつかない時は、私だけであの方の相手をしているが…」
二人きりで観劇とか食事とか、完全にデートではないか、とアイオロスは心の中で突っ込んだ。だがサガには「デートをしている」という自覚はないらしい。
「…ずい分と、親しくなったのだな」
「親しいというか…。良い友人付き合いが出来ているとは思う。私とカノンを見て、我々の両親との思い出を懐かしがっておられるようだ。最初は何か別の意図があるのかとも警戒したが…本当に、暇つぶしに私たちを相手に遊んでおられるだけのようだ。事務局に来る時も、いつも何かしら菓子とか果物とかを手土産に持ってきて皆に振る舞ってくれるので、他の者たちも今ではあの方が来るのを楽しみにしているらしい。不思議なほど気がきくところがある。神というのはもっと高慢なものだと思っていたが…あの方はとても気さくだな」
「アテナも言われていたが…。アケローオス河神を味方にしておけば、何かと役に立ったり聖域に有利になることもあるだろう。繋ぎ止めておいてくれ」
と、教皇としての損得勘定をもっともらしく命じたアイオロスだが、心では「あまりおれ以外の男とサガが親しくなるのもなぁ…」と抵抗を感じていた。にも関わらず河神の方は、女神が「可能な限り好意的に対応するように」と言ったのを知っているわけでもあるまいに、サガが拒否しない(出来ない)のをいいことに、図々しく、馴れ馴れしく、サガとの距離をぐんぐんと縮めているようだ。アイオロスは忙しくてサガと会うことすらままならずにいるというのに!
「ああ、そうだ。冥界の様子が気になると言ったら、妹のステュクス様に事情を聞いてやろうかと言われたことがある。ただ働きはしないぞとも言われたので、代償に何を求められるかを考えたら、こちらとしても気軽にお願いするわけにもいかなかったが…」
「……」
「念のため、冥界の様子をあの方に探ってもらうか?」
「…いや、それはちょっと待て。代わりに何を要求されるかが分からん」
「そうだな」
「…それで」
アイオロスは姿勢を崩して、あえて気軽な口調で言ってみた。
「アケローオス河神はいい男か?おれよりも?」
「……」
その問いにきょとんとしたサガは、やがてぷっと吹き出した。
「何を言うかと思ったら…」
「いや、それはおれだって焦るぞ。お前が他の男と二人きりでせっせとデートしていると言われればな」
「カノンがそう言ったのか?仕方のない奴だ」
くすくすと軽い笑いを収めたサガが言う。
「心配しなくても、あの方はそういう対象ではないよ。あの方も、女性はお好きだが、男性には興味がないようだ」
「…ま、おれ以上にいい男など、おらんだろうがな」
アイオロスは精一杯の虚勢を張って余裕ぶってみせた。これが普通の人間ならアイオロスも自信を持ってそう言えるのだが、何せ相手は神なだけに、その自信がどうもあやふやになってしまう。
「ああ、そうだな」
サガが楽しそうに返した。
「…だがお前がそうやって嫉妬して焦っているのを見るのも、なかなか悪くない。新鮮で楽しい経験だ」
「サガぁ…おれはわりと本気で言ってるんだぞ」
「うむ」
やはり楽しい、と、サガは笑った。
「心配するな、アイオロス。私の愛はお前の…お前だけの上にある」
そうしてサガは、ほとんど笑い話としてこの話を収めたのだった。
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