今日は、旧盆の墓参りに行きました。お墓に一つ残った沈丁花の木が枯れてしまいました。
このところ、お世話になっている友人たちを招待して会食しています。
椿山荘、鮎の専門店、丸ビルの七福中華など・・・いずれも味もその他も良いので満足。
加えて、色々な所要があるので、やることがある。
老年でも、やるべきことがあるのは幸せなことでもあります。
そして、眼から鱗のためになる本に出会いました。
超一流になるのは才能か努力か? フロリダ州立大学心理学部教授が書いた本です。
一時、天才は絶対音感が分かる。と話題になりましたが、これは間違い。
私自身が、幼児期からピアノを習っていたら、ピアノを習っている間は絶対音感がありました。
ただし、ピアノをやめてしばらくたったらその能力は消えていました。
いわゆる天才的と言われる人の能力はどうやったらできるのか?
それは、大部分の人はある程度できるようになってコンフォートゾーンに入ると、安心してそれに安住する。そうすると、どんなに練習や学習をしても、次のステップに上がらないそうです。
そして、コンフォートゾーンに安住しないで、限界的練習に挑戦した人だけが、次のステップに上達する。
明確な心的イメージを持って、限界的練習に挑戦した人が、いわゆる天才と言われるような技術や能力を習得する。そして、その技術や能力を得るためには、必ず人並みはずれた練習がある。練習が少なくて天才的能力を発揮した人は、著者が調べた限り存在しない。
すなわち能力の差は、練習量の差である。もちろん効果的な限界的練習を続ける前提がある。
この原理が最も強く働いているのが、バイオリンとピアノの音楽。
ベルリン芸術大学のバイオリン科の学生を調査したら、調査対象の学生は優に10年以上練習していて、30人の学生を詳細に調べたらSランクの学生グループには一つだけ大きい違いがあった。余り楽しくない1人での練習量が、Sランクの学生は7410時間、Aランクは5301時間、一般的学生は3420時間であった。1人で練習するのは余り楽しくないが、その練習量の差がランクの差に明確に表れていた。比較的僅かな時間でSランクになった学生はゼロであった。
何事も膨大な時間を費やさなければ並外れた能力は手に入らない。
ただし、コンフォートゾーンで安住して限界的練習をしなければ、どんなに時間をかけてもレベルが向上しない。
いわゆる天才と言われる人たちは、間違い無く他の人たちより長時間の練習、学習をしている。
遺伝的特長の差は認められなかった。
第二の間違いは、長時間継続すれば徐々に上達する。と言うこと。
同じことを同じやり方でいくら繰り返しても上達しない。
限界的練習が必要。
そして、努力さえすれば上達するというのも間違いである。
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