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2015年11月30日22:24

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オリジナル小説 「猿神」

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僕はある記憶に取り憑かれている。とても奇妙な感じがするやつだ。そいつは今でもあるかどうか分からないが、僕の通っていた幼稚園の視聴覚室にあった。明るい光に包まれたガラスの箱のなかに広がった緑の風景。山があって、森があって、川があって、田畑があって、その間を縫うようにミニチュアの模型電車が走っていた。幼い頃、先生に一人ずつ呼び出されて、薄暗いなかで光り輝くガラスの箱を見せられたのだ。何のためにそんなことをしたのか分からないが、その小さな電車が疾走するミニチュアの世界は、長らく僕の心に食い込んでいる。もうひとつある。一冊の本だ。内容は忘れてしまったが、表紙が立体写真になっているやつで、縦縞の線が入った磨りガラスのようなプラスティックの向こうに、やはり山だの森だの川だのが広がっていて、真んなかに子鹿、猿、小鳥などが固まって平和な表情でこちらを見つめていた。

今、僕は山のなかにいる。どうやってここまで来たのかは分からない。着ているものといえば、ネクタイを外したシャツとズボンだけだった。足は裸足で、手には解いたネクタイを握りしめている。こいつは何だ?視線がいい枝っぷりを探しているのは、首を吊る場所を求めているからなのか?立ち止まって、どこまで覚えていて、どこから記憶が抜けているかを考えてみた。しかし、頭のなかに浮かぶのは猿だった。小学生の頃、両親と三人で山にキャンプに来て、何だか得体の知れない肉を現地調達してきて食べたのだが、後になってあれは何だったのかを聞くと、父は決まって猿だよと答えるだけだった。父が死ぬ間際でも、「おやじ、いい加減ほんとうのことを教えてくれ、例のキャンプで食べた肉、何の肉だったんだ?」という問いに、含み笑いをしつつ「おまえもしつこいな、猿だよ。猿でなきゃあれは一体何だったんだ?」と言って二回深呼吸をして死んだ。そう、あいつはほんとうに猿だったのだろうか?
でもこれで、大体僕が何をしようとしているのかだんだん思い出してきた。ネクタイで首を吊ろうとしているのではない、猿を探しているのだった。あるいは僕が猿だと思っているものを捕まえてくびり殺さなくてはいけない・・・あそこの枝に猿かなと思う影がちらりと見えたが、暗がりがそう見えただけだった。

祖父と祖母は二人そろって両目が見えなかった。盲目ではない。自分で二つの眼球をえぐり出したのである。そうやって自分たちの猿を使っていた。高知の人間は犬を使って犬神を作り上げるが、こちらの猿神は生まれる前からすでに取り憑くのだ。その人の念に従って、自然に憑依する。ただ、その姿は筆舌につくしがたいほど恐ろしく、見ただけで死ぬほどのものなので、憑かれるものは何も見なくて済むよう目をえぐりとるのだ。最初は猿の顔だが、念に反応して、だんだんその人の顔に変わっていく・・・茶色の獣毛が黒々とした頭髪になり、顔全体から毛が抜け落ち、皺も消え、のっぺりとした青白い人間の顔になり、もったいつけた動作でこちらの目を覗き込むように振り返るのだ・・・

それゆえに愛媛の猿神憑きは非常に恐れられた。

僕の猿神は生まれた時からそこにいたが、姿は見えなかった。代わりに夢のなかに現れた。動物園があって、線路があって、その上を小さい電車が走っていて、上半身だけ運転士の制服を着、制帽を被った猿が先頭にぺったり座っていて、客席を引っ張って走ってくる。客席の窓には黒々とした髪を垂らした白い顔が無数に張り付いていて、これまた黒々とした目や口を開けてこちらに強烈な念を投げかけてくる。運転士の猿はこちらに向かって、茶目っ気たっぷりににやりと笑い、大袈裟な身振りで指差確認をしてみせると、乳児だった僕の脳内を大きくカーブして向こう側へ走り去ってしまう・・・

夢の話を両親は本気にしなかったが、祖父母はかなり本気にし、僕の頭のなかに色々なことを吹き込んだ。現代的な考え方の父はそれらをバカバカしいたわごととして、壁に塗り込めるようにして色々なことを重ねて吹き込み、母とともに別の町へ引っ越しさせた。それから数ヶ月経って、父は祖父母の住む実家を処分して引っ越し先へ移ってきた。祖父母は死んだとのことだった。

その晩、僕は両親と山でキャンプした時食べたものを夢に見た。それはこんがりと丸焼きにされ、猿のように身体が縮んだ祖父母の死体だった。その夢の話を聞いた後、母は精神的に病み、ある日自分の右目を包丁でぐっさり突き刺し、刃先が脳に達し、それが元で死んだ。でもそのことも夢だということにされた。母はほんとうは内臓疾患で亡くなったのだと。僕が見たと思った、猿のように顔をしわくちゃに歪めて目をギュッとつぶり、もう片方を恐ろしい深さでえぐっている形相は単なる夢なのだと。

遠い昔、土佐の人間は犬を飼うだけの余裕があったので、犬に自分自身を乗り移らせることが出来た。しかし伊予の人間は余裕が全くなく、何も持っていなかったので、自分の目玉を二つともえぐりとって、何かに乗り移ったと見せかけることが出来た。父が何度もそう語り聞かせる時、僕はどちらの方が恐ろしいだろうかと考えたものだ。

祖父母は兄妹同士だった。その近親婚を覆い隠すために、二人は自分の目をえぐり出し、猿神憑きの印象を周囲に植え付けたのだ・・・

元々二人は見た目が猿に似ていた。近親婚は彼らだけではなく、近親婚の家系だったのだ。父は養子だったので、猿神憑きの家筋と忌み嫌われることから逃れられたが、代わりにわけのわからないものを呼び寄せてしまった・・・猿のような形をした何かを。

父のなかでそれは成長を続け、僕のなかに入り込み、生活を脅かすほどのものになっていったので、ネクタイを手に山のなかに入ったというわけだった・・・

これも夢なのだろうか?父は夢だと説明しただろうか?

突如、僕の手のなかでネクタイでギュッと固くくびり殺した感触が蘇ってきた。猿だろうか?そのだらんとした顔を見てみると、それは父の顔だった。父は僕にネクタイで絞められ、やっとの思いで二つ呼吸をした後、キーッと猿のように歯をむいて死んだ。

これは夢ではなかった。

そうすると、もう誰も僕に説明出来る者がいない。見えるもの、もしくは見たと思ったものについて、記憶を塗り込める者がいなくなってしまった。僕の脳髄を枕木、レールごしに踏みにじりながら、猿が運転する電車がやってくる。制服、制帽姿の猿がキーッと歯をむきだして笑う。親指を後ろに向けて、乗れとジェスチャー。僕はぺらぺらと紙切れのような音を立てて電車に乗り込み、客席に座った。真向かいには真っ黒焦げになった、眼球のない祖父母。真横の席には包丁を目に突き刺した母と首を絞められて舌をだらりと垂らした父。

もう何が現実で、何が夢なのか、分からない。

目を覚ます方法はたったひとつ。この二つの目玉をえぐり取るのだ。猿神を見なくても済むように潰すのではなく、このわけのわからない世界を突き破って、星雲の彼方へと目覚めるためだ。僕はまぶたごしに眼球を触ってみた。ぐりぐりとした感触。この感触こそ夢から醒める手触り。
目をかっと見開き、両手の人差し指を眼窩と眼球の間に思いっきり突き入れた。一瞬赤い世界が広がり、涙とともに目の端っこに猿のようなものを見た。目玉はまだ内にあった。僕はあえぎ、息を深く吸い込むと、今度は両手の親指の爪でこじるように突き入れた。世界が逆転して平衡感覚が歪み、激しい酔いを感じ、吐き気が襲ってくる。闇のなかで何かがぱちぱちと弾け、緑色の星雲が広がっていく。
眼窩から視神経が引きずり出される感触が全身を貫き、両手の内に握った眼球が最後に見た光景は、僕自身の眼球のない顔だった。
その顔は、まるで猿のようにしわくちゃに笑い皺をくっきり浮かべて、大きく笑っていた。
山のなかに響き渡る叫び声・・・
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