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2015年11月10日15:45

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『声の事件簿』女声編その2 重大事件

 それは初秋だったはずだ。長袖のティーシャツにジーンズのファッションを着ていたからである。県立図書館に行って本を数冊借りてそれを小脇に抱えて帰宅していた時だった。
「ただいま」
「……」
 いつもの「お帰り」の返事がない。玄関には妻の靴があった。昼前に履いて出かけた靴に違いない。それでもう帰って来ているのは間違いないのだ。
 喉が渇いていたので牛乳を飲もうと冷蔵庫のあるダイニングのドアを開けた。ダイニングは玄関のすぐ北側にある。普段は居間にいるはずの妻がそこにいた。時間は四時過ぎだった。食事時間でもないのに珍しく食卓の椅子に腰掛けていた。
「もう、先に帰ってきていたのかい」
「……」
 いつもと全然様子が違う。僕が話しかけても全く相手にしないのだ。
 二人の間に冷たい空気が流れた気がした。短い恐怖の沈黙時間が過ぎた後、妻は重い口を開いた。
「貴方、お話がございますわ」
 そんな一言だけだった。結婚して以来、妻がこんな丁寧な言い方をするのを初めて聞いて驚いた。それよりこんな言い方も出来るのか、とさえ不思議に思った。
 丁寧な言葉使いの中に冷たい心が見えたからだ。眼差しは、やりきれないほどの極度の怒りで燃え上がっていた。鈍感な僕にだってそれは容易に判った。
「藪から棒に、いったい何の話だい」 
 それが僕にやっと発することが出来た言葉だった。
「貴方、私に隠し事がおありでしょう」
 そりゃ夫婦でも、お互い秘密の事はある。だいたい話す必要のないことは喋っていない。それはご互い様だ。それと妻に仕事の話なんかはしないからね。
 でも、それらは隠し事ではない。妻の耳に入れる必要のないことまで話していたら、僕も疲れるし、妻の方でも嫌がるのは判りきっているからだ。
 少なくとも妻を怒らせるような内緒話はその時は持っていなかった。
「隠し事なんて一つもないよ」と答えた。
 その言葉は火に油を注ぐことになった。妻の口調が変り大きな声になったからである。
「嘘でしょう。私の知らないことがあるでしょう。それって隠し事なのよ」
 あれこれと考えたが、本当に心当たりがなかった。
「お前に話してないことは多少はあるけど、お前が怒るような話ではないはずだよ」
 少しの沈黙の時間が流れた。妻は相変わらず厳しい眼差しで僕を見ている。女が怒ることの一番は『亭主の浮気』と昨日の新聞に書いてあったのを思い出した。でも僕にそんな浮いた話なんて一つもないのだが。
 妻の考えていたのは新聞記事と同じことだった。
「貴方、私の他に良い女がいるでしょう」
 それには即答したさ。
「そんな者いるかい。可愛い美人のお前がいるのに」
 妻は浮気の証拠をしっかり集めているという説明を始める。
「昨日、映子とみどりと映子のお宅で逢ったのね。そしたら二人が口をそろえて言うの。『貴女はお気の毒ね。ご亭主が浮気をしているのも知らないで』と。もちろん浮気の決定的証拠も見せてもらったのよ」
 妻の友人である二人のことは僕もよく知っていた。
 映子は長年エレクトーン教師をしている。みどりは県内では有名なプロの民謡歌手だ。二人は妻とは同じ高校での元吹奏楽部員。しかも同級生だった。
「最初に貴方の浮気を発見したのは映子なのよ。でも自分一人では確信が持てないのでみどりに話したのね。二人で確認して私に教えてくれたのよ。私も二人から聞いてみんなで確認したわ。これで言い逃れができないでしょう。映子とみどりって貴方もご存知よね。二人とも音楽を生業としているプロなのよ」
 その説明では僕の納得はいかなかった。仮に映子が僕の浮気現場を見つけたとしょう。でも、直ぐにみどりと落ち合って僕の浮気現場に戻って再確認する。それはとても困難なはずだ。
 さらに、三人が逢ったのは昨日のこと。昨日のうちに妻が僕の浮気現場を確認できるだろうかってね。浮気現場の証拠は写真だろうか。でも、心当たりはない。
 どだい、そんな浮気現場の発見なら、僕が浮気相手と頻繁に逢うのでもなければ絶対に不可能なことだ。
 妻の話し振りからはここ一週間以内の出来事のようだ。ここ一週間はスーパーへ買い物と図書館くらいしか外出はしていない。スーパーや図書館で映子やみどりには絶対に逢ってはいない。会話した女性はスーパーのレジ係と図書館の司書だけだ。妻の話は絶対に間違いだと確信した。
 しばらく考えた僕に心当たりが一つだけ浮かんだ。妻の話した言葉の中に『音楽』のキーワードがあったからだ。
(そうだ三ヶ月ほど前に映子とは逢っている)と。
 僕が作詞・作曲した『塩江慕情』という歌の編曲を映子に頼んでいたことを思い出したのである。編曲が完成してカセットテープを映子から渡されたときの言葉もね。
「ご依頼の編曲はやっと出来たわ。でも今回だけにしてくださいね。私はクラシックなのよ。演歌の編曲なんて嫌ですからね」
「ありがとうございます。無理をお願いして」
「それから貴方の歌は歌詞から女歌ですわね。だから、女性のキーのも作ったのよ。貴方にこのキーは無理だから男性用のも作りましたわ。これでどうかしら」
「あのう。僕は女性のキーでも歌えるんですけど」
「嘘でしょう。ご冗談を。それならお風邪を召しても女性のキーで歌えるんですか」
 重症の風邪なら声さえ出ない。まして高音のキーは出せないと僕は思った。
 それで「そうですね」と答えた。
「そうでしょう。そうでしょう。それならがんばって歌を歌ってくださいね」
「このURLのホームページに貴女に編曲していただいた歌を歌って掲載しますから」と告げていた。編曲してもらったお礼の意味もあったからだ。
「そうなの。でも演歌なんかに興味はないからきっと見ないし聞かないと思うわ」
 映子からこんな言葉を聞いていた。
 編曲して渡された女性用の歌のキーはアルトだった。それでは歌えなかったのでキーを大幅にアップしてソプラノ用に変えた。それで女声で歌って、自分のホームページに掲載した。
 編曲が完成してからもう三ヶ月も経っていたこともある。映子は絶対に僕のホームページなんか見るはずもないとの先入観もあった。
 それで今回の不倫疑惑が映子に頼んだ歌の編曲が原因であることに結びつかなかったのである。
 映子は僕がてっきり男性のキーで歌っていると思ったようだ。
 僕のホームページを見た映子は驚いたそうだ。
「どうしたことでしょう。私が編曲した歌を歌っているのは女性だわ。それにホームページ歌声の大半は男性でなく女性だわ。しかもこの女性は男性とデュエットまでしている。その上、男女の声は見事に綺麗に合っているわ。早速電話しなくっちゃ」と。
 映子が電話した先は妻ではなかった。自分の耳だけでは不安だったので歌手のみどりに電話したのである。
「みどりさん。悪いけど私ん家まで来てくれない。仲良しの風さんのご主人の浮気現場を発見したのよ」
「そりゃ一大事だわ。早速貴女の家にお邪魔するわ」
 携帯電話で連絡を受けたみどりは車を飛ばして映子宅に急いだ。
 映子は直ぐにホームページを開いてみどりに見せて、最初は女声を聞かせた。続いて男女のデュエットの歌も聞かせたらしい。
「映子。これは間違いないわ。浮気の決定的証拠よ。男声は風さんのご主人に間違いないわ。でも、こんな高音の女声はきっと風さんの愛人の女性のはずだわ」
「見つけたのは私だったけど少しは不安があったのね。プロの民謡歌手のみどりなら判ると思って呼んだのよ。みどりも認めるなら完璧な不倫だわね」
「映子。聞いてご覧。デュエットの二人の声があんなに息が合うなんて。二人の仲は相当に進んでいるはずよ。それにホームページは大半が女声じゃないの。風さんの奥様に知らせてあげましょう。夫の浮気も知らないで可哀そうだから」
 映子は翌日には妻を自宅に呼んだのだそうだ。今度は三人一緒で僕のホームページを見たのである。
「このデュエットの声を聞いてみて。男女の音の高低差がすごいでしょう。女声はソプラノ、男声は重低音のバスだと思うのね。少しも重なっている部分が無いのよね。だから間違いなく別人よ」映子はそう説明した。
「私も映子と同じ考えよ。このホームページは大部分女声よ。どうせラブホテルかどこかで録音したはずよ」みどりはそう付け加えた。
 妻は僕に詰問した。
「貴方どうなの。音楽のプロの二人の証言なのよ。それに私も確認したわ。貴方の浮気は確実でしょう」
 もう、不倫疑惑の原因が判った僕はずばりそれを指摘した。
「もしかして、歌声のホームページのことかい」
 僕は苦笑しながらそう言った。
「そうよ。あの女声の主は誰なの」
「ははは、それなら僕だよ」
「嘘おっしゃい」
「どうせ、デュエット曲を聴いて浮気の判断をしたのだろう。男女の息がぴったりなのは全部僕一人で歌っているから当然だよ」
「そんな言い訳は信用できないわ。三人で確認したんだから」
 妻は僕の言葉を全然信用していない。
「じゃ、取って置きのページを教えるさ。内緒でお前の歌を作詞しているんだ。作曲家が僕の歌詞を気に入って作曲・編曲してくれたんだ。『支え』という歌だよ。それを僕が歌っているのがあるからそのページを開いて見たらいいさ」
 早速、妻はホームページを開いて妻の歌のページを見つけた。そこには僕が女声で歌っている歌のほか、妻の二十一歳の和服姿の写真を貼り付けていたのである。
 その歌詞には妻と二人だけの内緒話が入っていた。

 内緒話とはこんな出来事があったのだ。作詞より半年前のある日のことだった。
「僕はお前のことを空気みたいに思っているんだ」
 ぶっきらぼうに言った僕の言葉に妻は突然怒り出した。
「これほど誠心誠意尽くしている私を空気みたいだなんて。そんなのあんまりだわ。私が要らないということなのね」
 とても険悪な空気が流れた。
 少しの間を取って僕は小さな声で独り言を呟く。
「人間も動物も空気がないと生きていけないからな」
 その言葉で妻は満身の笑顔に変った。
「空気ってそういう意味だったのね。貴方って面白い人。私がいないと生きていけないって直接おっしゃればいいのに。うふふふ」
 この出来事を『支え』の歌の歌詞の二番に置いているのだ。だから妻は妻の歌だと簡単に納得した。
 もしも、女声の主が愛人ならば、浮気相手の妻である人の歌を歌うはずがない。それは誰にだって容易に判ることだからね。
「この歌はとっても良い歌だわ。貴方には作詞の能力があるのね。でも、貴方、女声で歌うのは辞めてね。みっともないから」
 僕はこんな不倫疑惑によって妻の愛を実感したのである。
 僕の浮気疑惑は当然晴れた。しかし、僕はそれからも女声で歌うことを辞めてはいない。それより男女の声を使って一人でデュエットしている方が断然多いが。

 今年の夏のカラオケ大会は、出られなかった。来年の夏こそは、男女の声を使って一人デュエットで出場したいと考えている。
 出場が叶って歌うことがあったなら、『声の事件簿』に新しいページが加わるはずに違いない。
 随分前に録音したから今よりは下手です。
 でもどんな歌なのかはお教えしたい。
(予選用)「ふたりの大坂」1番だけ歌います。この歌は大好きなんです。
http://takurou.co-site.jp/utagoe/uta2/a19hutarinooosaka.html
(本番用)「浪花恋しぐれ」1番と2番だけです。
1番の男声と2番の女声のギャップが評判になっています。
http://takurou.co-site.jp/utagoe/uta2/a21naniwakaisigure.html

 それから最後にここだけの秘密だよ。
 女性から男声でのデュエットを頼まれたのは4回。これは自然かな。
 でも、男性から女声でのデュエットを頼まれたのも4回。これは絶対、アブノーマルだよね。
 しかし、全て「はい」と引き受けて歌っちゃいました。単なるお人好しなんです。
 セクマイの方からのデュエットのリクエストはまだありません。その場合はどちらの声を希望されるか興味深々です。

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