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2015年09月23日00:04

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『常識についての一考察』第9話

『常識についての一考察』第9話

 海界にある公邸内の寝室で、カノンは目を覚ました。体を起こし、大きく伸びをする。ふと人の気配を感じて室内を見回すと、傍らにアケローオスが立っていた。キトンにヒマティオンという見慣れた古代の装束だったが、なぜか腕には大輪の真紅の薔薇の花束を抱えていた。
「アケローオス、どうしてここに…?」
 カノンはいぶかしんだ。海界はポセイドンの領域だから、アケローオスが海皇に無断で海界に入ることは不法侵入になってしまう。だからアケローオスはまず海界には来ない。来るにしても、ポセイドンかその代理人であるカノンの許可を得てから来る。事情はアテナの領域である聖域でも同じで、聖域に関しては、アケローオスはその地を訪ねるごとに律儀に正門前に姿を現し、アテナの代理人である教皇アイオロスに聖域への入域許可を乞うていた。
 豪華な薔薇の花束を抱えたアケローオスはどこか困惑したような顔で立っていたが、やがて彼はその花束をカノンに差し出した。
「カノン、やる」
「…あ、どうも」
 思わずカノンは花束を受け取った。大きな花束をカノンは両手で持て余し気味に抱え込んだ。
「でも、どうして?」
「女に求愛するなら、やはり花束の一つでも贈ったほうがいいかと思ってな」
「…はぁ?」
 アケローオスの答えにカノンが首をかしげた。
「カノン、自分の体を見てみろ」
 そう言われ、カノンは視線を下におろした。白い夜着がひどくぶかぶかになって、やけに大きかった。そして胸には、二つの膨らみがあった。薔薇の花束を脇に置いたカノンは、その膨らみを両手で持ってみた。ふにふにと柔らかい。胸を触った感触がいつもと異なっている。しばらく膨らんだ己の乳房を夜着の上から揉んでいたカノンは、まさかと思い、足の間にそっと手を入れてみた。あるべきはずのものが、そこにはなかった。
「な、な、な…」
 カノンはぷるぷると震えた。
「なんじゃ、こりゃあああああーっ!?」
 寝室内に悲鳴が響く。その声も、いつものものよりは甲高くなっている。
「え、な…なに!?何だ、この体!?おれ、女になってる!?なんで…!?」
 慌てふためいたカノンに、アケローオスが説明した。
「いや、サガがニンフの呪いで女になって、それでおれがサガに子を産ませてその子を次の双子座にと望んでいるということを、ポセイドンが聞きつけてな。普段は眠っているくせに、こういう話にはやけに耳が早い…。まあ、ともかくそれを知って、ポセイドンから異論が出た。アテナ軍にばかり強い戦士を与えるのは不公平だ、ポセイドン軍にも一人寄越せ、とな。自分の力でお前を女に変えるから、おれの子を産ませろ、空位の海将軍の一つをその子に与える、と」
「……」
「まあ、おれもアテナとポセイドンのどちらか一方に肩入れするのはできれば避けたい。両軍にそれぞれ一人ずつおれの子を与えるというのなら、公平性が保てる。ましてそれが海皇の強い意向とあれば、おれも逆らうわけにはいかん」
「……」
「それにお前がおれの子を産めば、ハーデスにサガが子を望めるようにしてくれと願い出る際に、ポセイドンとアテナの勢力の均衡を保つためという説得の口実が一つ増える。となれば、おれには否はない」
 そうしてアケローオスはカノンを押し倒した。
「そういうわけだ、カノン。さっそく子作りするぞ」
「え、え、え…」
 ワンピースタイプの夜着の裾をめくられ、カノンの白い足があらわになった。大腿を愛撫され、足がびくりと弾んだ。
『子?』
 アケローオスに押し倒され、夜着を脱がされながら愛撫を加えられていたカノンは、呆然としていた。状況に頭がついていかない。混乱した思考の中で、「子供」という単語が頭の中をぐるぐると回った。
『子を産む?おれが?こいつの子を?』
 妊娠し、腹部が大きくなり、やがて出産する自分の生々しい姿を想像した時、反射的にカノンが感じたのは、嫌悪だった。
「い、嫌だあああああーっ!」
 大声で叫んで、カノンは上にのしかかるアケローオスを全力で蹴り飛ばした。予想外の攻撃に、アケローオスはまともに蹴りを喰らってしまった。直前までカノンは大人しく愛撫されていたし、それに身を重ねるような関係になってからカノンがアケローオスを拒んだことは一度もなかったので、この攻撃は全く想定していなかった。
「…カノン?」
 蹴り飛ばされてのけぞり、寝台に尻もちをつくような体勢になったアケローオスがカノンに驚いたように声をかける。しばらくアケローオスを蹴った格好のまま呆然と固まっていたカノンは、やがて身をひるがして寝台から下り、ぶかぶかの夜着姿のままで寝室から駆け出した。
「カノン!」
 アケローオスに呼びかけられたことも気付かず、カノンは公邸の廊下を走り続けた。
『子供?』
『おれが子供を産む?』
『おれがあいつの子供を産む?』
 嫌だ!とカノンが強く思った。
『嫌だ!嫌だ!嫌だ!そんなのは嫌だ!気持ち悪い!そんなもの産みたくない!産むなら…』
 カノンの脳裏に、ある男の顔が浮かんだ。
『産むなら、「あいつ」の子でないと嫌だ!あいつの…、おれが愛する、おれが惚れたあの男の子でないと…。あいつの子なら、産める!』
 そして公邸の一角に設置された「水鏡」の術などに使う連絡用の泉まで駆けて行ったカノンは、水脈を開いて泉を冥界まで通じさせると、その中に勢いよく飛び込んだ。

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