http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=348157
http://violetta-movie.com/
今年が終わるまでまだ二か月半以上あるけれども、私が今年でイチバン号泣した映画は「ヴィオレッタ」である。例によって友人の好意で自宅で観た。
(DVD、Blu-rayの発売は十一月五日。レンタルもその頃になろう)
エヴァ・イオネスコをモデルにした
イリナ・イオネスコの写真作品は、まずこれを思い出す。私が初めて買った写真集の表紙がこれだったからだ。
確か青山のブックセンターで買い、その帰りに当時あったWAVEに寄って映画「イレイザーヘッド」のサントラを買った。そのノイズに酔いながらイリナの撮ったエヴァの写真作品を見ていて、娘を通して母親はもうひとつの人生を生きたいのだと悟った。そこにはホドロフスキーが息子たちの人生を通して生きる人間的な愛はなく、女特有の魔的なものを感じた。楳図かずお先生の「洗礼」を思い出したのは決して偶然ではない。
また、オリジナル版の「キャリー」の母娘を思い出したのも当然の流れであった。
一体、母と娘の関係とは何であろうか?私と違ってノーマルな思考を持つリア充の友人たちは、ベット・ミドラー主演の「ステラ」は理想的な母娘の姿だとかススメてきたのだが、あんなものは単なる現実逃避である。現実は、マイミクさんたちの愚痴を聞いてもワカるように、「女の闘い」そのものなのだ。異常に複雑なまでに絡み合った確執なのである。
棕櫚第二号に寄稿した拙作「燔祭」は、俳優クラウス・キンスキーの近親相姦スキャンダルを元にした作品だが、キンスキーのスキャンダルが世に出なかったら、映画「コックリさん」をベースにした母娘の近親相姦の話になるはずであった。
ネタバレして申し訳ないけれども、盲目の娘の目を通して、母親が憑依するというシチュエーションが私の琴線に触れ、娘を通してもう一度生きようとする母、母の強さを得てもう一度生きようとする娘の互いの尾の呑み込み合い、母娘をウロボロスの蛇に例えて、奇怪なドラマを書き上げる予定だったのである。その際考えたコピーが「少女は生まれながらにして母親である」。現在書いている異常事件シリーズが完結したら、じっくり書くつもりだ。
「ヴィオレッタ」はエヴァとイリナの確執の物語でありながら、常人には決して理解出来ない愛を感じた。以下の写真を見比べて、映画の余韻を思い返す度に、私は涙を流す。
母娘、どちらがオリジナルで、どちらがイミテーションなのだろうか?そしてお互いの尾を呑み込んだ先には何が待ち受けているのだろうか?
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