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2013年02月20日16:10

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闇のなかに潜む鼻と手。

子供の頃、向島にUさんという按摩さんがいて、お寺ぐるみでつきあっていた。
当時すでにかなりの高齢だったが、どこか生き生きとしていて、いつも違う女性と同伴してくるのを不思議に思っていたものだ。
私が耳が悪いことを知ると、Uさんはハハッと軽く笑って、「坊、片輪の方が女にもてるもんだよ。何、大きくなればすぐ分かるさ」と言って頭を撫でてくれた。その時の撫で方、その実にもったいぶった、いやらしい手つき、かつ、繊細な指使いに、なぜいつも違う女性を連れているのかが子供心に分かった。

勝新の「座頭市」しかり、江戸川乱歩の「盲獣」しかり、盲目の人間が撫でる女体は健常者のそれより激しく反応することを知った私は、小学四年生になって、クラスメイトの女の子を体育館の舞台裏の真っ暗な通路に連れ込み、暗闇のなかで女の子のカラダをあちこち触った。最初は怖がられて泣かれたが、二回目は向こうから誘われた。その子だけでなく他の子にも手を出したのだけれど、いわゆる嫉妬の感情を持たれず、むしろ団結した女子たちからかわりばんこに相手をさせられたのは、按摩と同じだからと悟った。

女性にとっては按摩は一種の道具なのである。痴態を見られても構わない、ストレス発散のための生モノでしかないのだ。実際、私は好きだった子にこう言われた。「ラブというよりライクね」。子供心に激しいショックを受けたので、私にとっていまだに禁句であり続けている。

小学校を卒業する時点で、私は従姉で女を知っていた。従姉のそれはラブのようではあったが、「うわさの姫子」とかで想像するような健全なラブとは本質的に異なるものだったので、恋愛感情というものにはますますニヒルになっていった。代わりに成長したのは性欲と指先の感覚、そして嗅覚であった。

耳が悪いと別の感覚が人一倍跳ね上がるのだが、他の子が視覚であったり(これが一番多かった)、味覚であったりするなかで、私だけは嗅覚が異常なまでに発達していた。他人が怒ったり、笑ったり、泣いたりする時どんな匂いがするか分かるので、当然、発情する時の匂いも知っていた。障害を持つもの同士でのボランティアに参加した際、盲目の女の子とコミュニケーションをとる役目をおおせつかり、私は傍から見ると滑稽なくらい全身を使ってベタベタ触りまくり、相手の手をとって自分の身体のあちこちを触らせていた。その時私が一生懸命囁いたのは「蛇はこうやってからみあうんだ」の一点張りであった。最初はもちろん嫌がっていたが、執拗に、かつ誠実に、そして柔らかく、優しく、時々激しく触っていると、彼女が心を開いてくれる匂いを嗅ぎとれた。

そんな感じで今日に至るまでいくつかの遍歴を重ねて、あらためてUさんを思い出すと、我ながら苦笑いをしてしまう。

飛蚊症を患ったことが判明した昨日、私は添い寝をしてくれる男の子と同衾しつつ、耳が悪い上に目が見えなくなったらどうなるだろうかとシミュレートしてみた。蒸気アイマスクを着け、補聴器を外し(いつもはピロートークを楽しむために着ける。笑)、視覚と聴覚なしの、嗅覚、触覚のみで男の子と接した。まだ声変わりしていないノドに唇を当てて何をしゃべっているのかを感じ取り、両手ですべすべの肌を撫でさすり、指先でブリーフの上から恥骨をまさぐり、手のひらではらわたの蠢動を感じ取った。私のスキンシップはいつもくすぐったいと感想を述べる彼ではあったが、昨晩に限って、びっくりするほど勃起していた。
それ以上に、私は彼の心がピーチ味のフルーチェのようにねっとり、かつ、ぷるぷるした甘い匂いを放っていることに感動を覚え、私は満足し、彼を背中から抱きしめてそのまま眠りについた。

もし目と耳が不自由になったら?

先日それを苦にして自殺してしまった人がいたが、私はつまらない人生を送ったなと哀れに思うだけだ。恐怖感も何もない。自殺なんてとんでもない。闇のなかに漂う芳香と肌触りがある限り、人生は別のかたちで愉しめる。

あなた方がもしこの愉しみを知りたければ、まず、ヘレン・ケラーとどんなセックスが展開出来るかを想像してみるといい。

盲獣の人生も悪くないものだ。
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