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2012年06月09日19:38

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逆立ちしてフィーバーする。

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倒立異形は、しかし、熊野に限った話ではない。日本の各地いたるところから、数多くの逆さ女、逆さ幽霊の例をひろい上げることができるだろう。
暗夜、川に通りかかった男に、逆さ女が、何とぞ私を背負って、この川を渡して下さいと頼む。望み通りにしてやったところ、さらにとある家の入口に貼られたお札を剥がしてくれという。剥がしたとたんに、逆さ女の姿は消えて、屋内で、悲鳴がおこる。後に聞いたところでは、先妻の怨霊、あるいは誣告虐殺された妾の怨霊に、後妻(うわなり)が、妻が、とり殺されたのであるという。
なぜこの死霊たちは、逆さなのか。いくつかの話では、逆ばりつけになった形を止めているのだと、その形態への合理的な説明がおこなわれているが、それもさることながら、倒立とは、やはり愛を裏切られた女の、怨恨感情の具象化ではないだろうか。
現実においては、瞬時の倒立も、明らかに苦痛である。とすれば、この苦痛の感覚は、死後も同じであろう。
怨恨を抱くものは、その怨恨を確認し続けるために、むしろこの受苦を選び、受苦においてこそ存在するものであった。幽霊たちはいうかもしれない。「何が何でもこの倒立の苦痛を手放すことはできない。私は積極的にこの苦痛をむさぼりつづけよう。なぜかならば、苦痛のかぎりは、私の怨恨は、一瞬一瞬新しいのだから――」と。

逆さまとは、日常にたいする非日常であるかぎりにおいて、デモーニッシュな行為なのである。デーモンの国の、象徴的行為なのである。
逆柱、逆松、逆杉、逆継ぎ、逆蓑、逆水・・・そして逆さ女、逆さ幽霊たち。

松田修著 「刺青・性・死―逆光の日本美―」(平凡社)


昔、新宿スタジオ村で某演劇人のワークショップに参加した際、“怒髪天を衝く”というのを表現してみろというお題で、スキンヘッドだった私は隣の貞子みたいな長い黒髪の女性にひそひそと耳打ちした。ほとんどがスーパーサイヤ人のように無理して力んでいるなかで、彼女だけが壁に向かって倒立し、両腕をあげて髪の毛を垂らした。
我ながらとんちのようで笑ってしまったが、髪の毛を逆立てる現実的な手段は倒立以外にはありえないのだ。

非現実の現実的な表現としての倒立、逆立ち、逆さまの世界というものに私は非常に興味を覚える。我が国に限らず、アフリカのジャングルに現れるという手足が逆になった逆さ男なる妖怪にしても、原住民の声にならぬ叫びを感じるし、世界のどこを見渡してもプラスの意味での逆さはない。

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ダンテの生きた時代では、死者は逆立ちして地獄へ入るという言い方があったそうで、その表現を元にダンテは天界の広がりとは真逆の広がりの地獄を展開させたのだという見方もある。

書くという行為において、重要なのはパッションであり、フィーバーである、というのはポオが唱えて以来、基本中の基本とされているが、怨念じみた熱っぽさに至るまでがなかなか出来ないことである。
何かピカッと光る言葉が浮かぶまで、文字通りのたうち回らなければいけないわけだが、私は実際に逆立ちすることでこの過程をショートカットすることに何度か成功した。

壁に脚を投げ出すようにして三点倒立する。
ベッドの上でブリッジをして逆さまに前方を眺める。
ソファ、あるいは椅子に逆さまに身を預ける。

出来たらの話だが、夜の学校に忍び込んで鉄棒にぶら下がるのもいい。私は実際、近所の小学校で真夜中に試し、いくつかのアイディアをものにした。

逆さまになって簡単にものが書けるなら苦労はしないという方もいらっしゃるだろう。しかし、人間は考えるよりカラダを動かした方が道が切り開けるという奇怪な点がある。そう、怨念に身を焦がすより、怨念を体操としてカラダで表現する方が、心を蝕まれずに作品が書けるのだ。

これは試す価値があるはずである。


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