科学雑誌「オムニ」の創刊号だったと記憶しているが、ジョン・レノンを撃ったマーク・チャップマンは現実世界が“夢”に侵犯されると告白していたという記事が載っていた。
安楽椅子に座ると、自動的にビートルズの演奏が始まり、周囲が飛び跳ねるように騒がしくなり、おもちゃ箱から人形やぬいぐるみが出てきて、輪になって踊る・・・
そんな内容だったのだが、ビートルズの聴きすぎと片付けられない、異様で、それでいて、どこか人間くさいものを少年時代の私は感じた。
それが“彼岸”なのだと悟ったのは、パリ人肉事件の佐川一政に「憑依」して、彼の心情をシミュレーションしてみた時だった。
人を殺して食べるという禁忌を犯すという行為ではなく、生まれながらにして持ち続けている心のなかの闇(佐川は霧の中と表現していた)を一瞬でも照らす光芒と巡り会い、そのなかに見える光景を垣間見る瞬間。
殺人は単なる過程に過ぎない。
自分の目指すものが見えたなら、そこに到達するための努力をする・・・
チャップマンも佐川も“彼岸”を垣間見、そこに至ろうとする過程でレノンを撃ったり、フランス人女性を殺して食べたりしたのだった。
チャップマンの告白が非常に印象的だったので、それまで家庭教師の影響で楽しく聴いていたビートルズがもはやシリアルキラーのために書かれた歌にしか聞こえなくなってしまった。
それは現在もひきずっていて、少女を腐らせてそこに美を見出そうとする男の物語の習作がちょうど終わったところなのだが、自分の作品のキャラクターへの“憑依”で、男の脳裏で鳴り響いているのは、ビートルズの「It's All Too Much」だった。
腐敗しきった少女の遺骸を眺めながら、男の脳裏に浮かぶのは・・・
子供の頃観たアニメ映画「イエローサブマリン」のサイケな色合いをいつまでも覚えているのは実に奇妙だが、先入観念なしに観れば、“彼岸”のイメージにふさわしい。
殺人者の心の闇のなかにも愛と平和に満ちた、幸福なひとときがあるのだから。
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