私の宇宙観も苔と同じように、幼少期に見た絵図が元になっている。
百科事典に載っていたコレで、このひとつの「部屋」っぷりが、私の心の琴線に触れたのであった。部屋と同じく、宇宙は有限であるが、部屋に流れる時間は無限なのだと。
これらの「想像図」は、実際に広がる宇宙より、人間である我々にとって現在でも非常に重要なものだ。NASAが日々発見とレポートを繰り返す写真つきの又聞きの世界よりも、実際に頭のなかに浮かぶ宇宙観の方がじかに手に触れることが出来るので、感覚、感情、感触に深く関わっていくのは当然なのである。
事実。
私が若い頃アフリカで出会った部族の子供は、地球が丸いことは理解していたが、ほんとうは平べったい円形の大地で、その果ては絶え間なく海水が宇宙へ向かって流れ落ちている、と考えるのが好きだと言っていた。
同行していた人たちは笑っていたが、私は非常なショックを感じた。
ほんとうの世界はどこかに確かにあるのだ。
それからダンテの神曲を読んで、地獄、天国と長いことかかって巡り終えた時は、これら全ての宇宙観がダンテの内から生まれた、即ち、人間は宇宙そのものなのだと確信するに至った。
これが私の「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の理解への経緯であった。
ログインしてコメントを確認・投稿する