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2011年07月23日20:05

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地獄観はお互いの人生を共有することで生まれる。

海女房(ウミニョウボウ)

海の怪。三陸海岸で男たちが漁に出たが、戻ってこない。女房たちが案じていると、あるとき大きな風呂敷包みを持った女がたずねてきた。物売りかと思ってそれどころではないというと、女は笑いながら包みをほどいた。中から男の生首が五つほど転げ出た。女は「わたしが殺したのではなく、時化で溺れ死んだ者たちの首を持ってきてやったのだ」といったという。

海の妖怪は海坊主、舟幽霊、あやかしなど、数多く言い伝えられているが、私が一番印象に残ったのはこの話であった。祖父が持っていた「妖怪魔神精霊の世界―四次元の幻境にキミを誘う」(現在も犬神図書館にて所蔵)からの引用だが、祖父は人間の哀しみから生まれた妖怪だと述べていた。

時化などの海難で身内を失った者にとって、海を怨んでみても仕方がない。そういうやり切れなさが妖怪という“かたち”を生み出すのだと。

従って。
今回、東日本大震災の津波で多くの子供たちが亡くなった石巻の大川小学校付近に現れた、自称霊能者という胡散臭い人物に、びっくりするほど多くの遺族がすがりついた話は、人情的に見過ごすべきだと思った。
海から子供たちを呼び戻してみせると豪語しているそうだが、どんなに胡散臭い話であっても、集団的にその儀式に参加して気休めになるならば、精神的にひとつ前に進めるであろう。
それなりに。
儀式が成功しなければ、霊能者はただではすまないだろう。

まあ、個人的にこういう出しゃばりは好きではないのだが、私は祖父の影響を強く受けていて、すべてのオカルトは気休め、それも真剣な現実逃避だと観ているふしがあって、例え実際に幽霊を見たり、奇怪な出来事を経験しても、それは「ああ、怖かった」の一言で片付いてしまうのである。だから、霊能者などの他人事の話を聞いても、ああ、そう、で終わってしまうのだが、真面目に逃げてしまいたいという心の弱さはよく分かっているから、嗤うよりむしろ、同情の気持ちの方が大きい。

私がほんとうに嗤うのは、やれ日本にもピラミッドがあっただの、竹内文書はすごいだのと、月刊ムーとかトワイライトゾーンとかからの情報をガチで盲信している輩である。実際、20代の始めに憑霊信仰の取材で高知県を訪れた時、こういう輩二人組にからまれて不愉快な思いをした。ボイスでネタにしたようなMMRみたいに「な、なんだってーッ!!」と驚くリアクションを私に求めていたようだったが、あいにく、そんな話題は小学校の時にとっくに笑い飛ばしていた。
当時流行っていたUFOやコックリさんでさえも、真剣な現実逃避だと割り切っていたので、それなりに愉しめた。

そんなことに心から夢中になれるのは、自分自身に対しても寂しい人で、家族がある日突然消え去ったとしても、そんなに感情が跳ね上がらないだろう。自分がのめり込める世界が侵された時のみ、感情が起伏する・・・
私が嫌悪し、軽蔑するのは、まさにそういう身勝手さなのだ。

祖父は地獄観について以下のようによく語っていた。

人々はお互いの人生を共有するために、地獄を生み出すのだ、と。

そういう意味で、作家もまたそうあらねばなるまい。
身勝手な世界観をとうとうと述べ立てる作家の作品なんて誰が読みたいと思うだろう?

で、大川小学校の子供たちを呼び戻すと騒いでいる霊能者の話が、個人的に諸星大二郎先生の「海竜祭の夜」、映画「THE DARK」(※この作品については以下の過去日記をご参照あれ)を思い出させるので、いずれ短編小説として書いてみたい。

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哀しみにおいて、当事者ではない私自身の人生を濾過して、どこまで想像力を共有出来るのか?そこに私は何かをしてやれる人間の可能性を見出したいのだ。
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