家族そろって船に乗る機会があった時、オヤジは船酔いがひどかったが、祖父と私は平気だった。
それは二人とも“船饅頭(ふなまんじゅう)”を経験しているからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E9%A5%85%E9%A0%AD
江戸時代の公娼といえば吉原の遊女だが、川辺とか小船のなかでむしろを敷いて春を売る私娼は夜鷹(よだか)といった。
江戸から明治、大正、昭和と移り変わっても、性風俗が途絶えないのと同様、いわゆる赤線とは別に、夜鷹のようにヤクザの縄張りを完全無視して、自由気ままに客をとる私娼がいた。
で、終戦直後、祖父は寺男に美少年を拾ったり、親を失った子に子を失った親をあてがったり(これを祖父は家族ならぬ仮族と呼んでいた。いずれ詳しく語ろう)、臨時職業案内所を作って職を紹介したり、色々な形で面倒をみていた。
建物を建て直すのは大工の仕事、人間を立て直すのは坊主の仕事と口癖のように言いながら、一生懸命働いた祖父はある日、くたびれた身体を引きずるようにして、まだ焦げ臭い隅田川のほとりを歩いていた。
祖父は当時のことも日記に詳しく書いている。
“丑三つ時だからであろうか、川の中からケンケンと怪しい鳴き声がする”
そこで祖父は石を拾って、鳴き声のする方へ投げつけた。すると葦の茂みからすうっと小船が現れて、ボロボロの浴衣に男ものの外套を羽織った少女が手を振りつつ、両手を拝み合わせながら石を投げないでと懇願してきた。
「なんでぇ、人間のお嬢ちゃんかい。狐かと思ったぜ」と祖父。
「お客様を選ぶための狐の物まねでございますよ、旦那」と少女。
「お客様?」
「はい、狐の鳴き声ぐらいで逃げ出すような人に抱かれたくありませんもの」
「船饅頭かぁ」
「はい、おひとつどうです?」
「よし、買おう」
それが祖父と船饅頭の私娼シズの出会いであった。シズは当時16。空襲で両親を失い、幼い弟、妹を食べさせるために工員のバイトに加えて春を売り始めたのである。
でもヤクザ、愚連隊の目を逃れるためとはいえ、こんなさびしいところじゃいくらにもならないと、祖父は洲崎パラダイスの店を紹介した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%B2%E5%B4%8E_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)
ついでにアパートも紹介した。
こんな感じの木造アパートで平成に入って取り壊されるまでは、私もよく遊びに行っていた。
現在もシズさんは健在で、東陽町のオール電化マンションに住んでいる。
私の船饅頭の経験は高校一年生の時で、夏休みの真昼間に新中川を散歩してたら、船溜りのなかの、ブルーシートをかけたヤマハのオンボロモーターボートのなかから中学生くらいの女の子が手招きしてくるので、何かなと近寄ってみると、
「千円でしゃぶったげる、素股なら三千円ね。どう?」と言い出すので、船饅頭の昭和版かあと感心してしまった。
当時、檀家の依頼で材木問屋の緊急ヘルプとしてバイトしてきたばかりなので、手持ちは実に一万円もあった。
「一万円でどこまでしてくれんの?」と私。
「そりゃ最後までだね・・・」と消え入るような声。
彼女とはそれっきりで、祖父のように縁を長続きさせることは出来なかったが、一期一会という出会い方は私の女性観を美しく彩った。
その証拠に、祖父も感じたであろう、船の立て揺れ、横揺れに伴う水音、川の忍び寄るような匂い、どこか遠いところへ連れて行かれるような引きの感触が、私の女体の思い出の美しい装飾品として常に鮮やかに蘇る。
そういうわけで、祖父も私も船に強く、二人で仲良く磯釣りに出かけたものだ。
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