かわいい羊の置物とビデオ、鉢植えの南天の木、お気に入りの少女歌手のポスター、勉強する弟、電動鉛筆削り機、父の本箱、かわいい虎の子のイラストの描かれたカレンダー・・・。ほんのちょっと窓の外の庭、近所の家の屋根に目を移しただけだ。
彼女の家は美しく整い、お母さんの細やかで優美な心遣いがあらわれている。少女は明るく微笑み、勉強する弟も賢そうだ。
しかし彼女の生活は、清潔でかわいい家庭に閉ざされ、学校と二、三の友達の家が点在しているのにすぎないようだ。
野田正彰「漂白される子供たち/その眼に映った都市へ」(情報センター出版局)
比較文化精神医学の野田正彰は、子供たちに写真のフィルムを渡し、「一日の生活、好きなもの」をテーマに写真を撮らせて、そこから子供たちの内部風景を読み取ろうとする、「写真投影法」という試みをしているが、男の子より女の子の方が自分の部屋のあれこれを写すのに執着しがちなのは、たいへん興味深い。
部屋はその人個人の心理風景である・・・
私は男でありながら、幼少時、従姉と同じ部屋で暮らしていたことがあり、ひばり書房の怪奇マンガと西城秀樹、テディベアなどで満ちあふれた従姉の部屋の影響を色濃く受けているので、好きなもので自らの“心の巣”を造る、絶対少女の習性を現在に至るまで続けている。
だから、高校時代に我が家に遊びに来た男友達の一人は、私の手作りのテディベア、レースのカーテン、大量の少女マンガのコレクションに、本気で「妹さんがいるんだね」と信じた。
当時は説明が面倒だったので、彼が信じる幻の妹を細かく設定して、私の想像力をそのまま彼の妄想に反映させた。
その結果、彼は私の作り上げた妹にラブレターを書き、私の書いた返事に感極まって自慰をした。
ヤバイことになる前に、私は彼をフッたのだが、悪いことをしたなという罪悪感と比例するように、老若男女を問わず、人の心に存在する絶対少女の心理風景としての部屋に取り憑かれる気持ちが強くなっていった。
今日は、ココたち犬神チルドレンの“一角獣倶楽部”の面々を前に、特別性教育の講義をしたのだが、内容はズバリ、「部屋のなかでのオナニーの仕方」であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%80%E6%84%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E6%9C%88%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E2%80%A6
これは三田寛子主演のドラマ「激愛・三月までの…」のワンシーンで、昭和の少女の部屋の様子がよく分かる。
これはココに教えてもらった、イマドキの女の子の平均的な部屋の様子だそうだ。オシャレだな〜
まずは、私の世代、昭和の部屋の様子を事細かに話し、幼少時に目撃した従姉の自慰のあれやこれやを臨場感たっぷりに説明したのだが、押し入れや洋服タンスのなかにこもって声を押し殺してイクとか、暗い、暗すぎるとさんざんであった。
じゃあ、キミらはどんな風にしていたすのかね、と聞いたら、堂々と部屋の真ん中で股をおっぴろげて両手でグッチョグチョにし、声も控えめながら好きなだけ上げるとのことである。
それでちゃんとイケるのかい?と私。
イケた時より、イケなかった時が多いかな〜と彼女たち。
そこで、私は部屋はキミらの心のなかの集合体で構成されているんだから、それはつまり、もう一人のキミ自身に見つめられていることと同じで、落ち着いて集中出来るわけがないだろと。
例え、キミ自身の分身であっても、キミはキミ自身のなかの痴態をさらけ出せまい。それは羞恥心よりももっとこう・・・品性の問題だね。それが男の子より女の子らしいとされる部分なんだ。
せっかく美しく彩った部屋を汚したくないから、従姉は押し入れや洋服タンスにこもったのさ・・・
それに自分を自分自身から“解放”するには、光が差し込まない暗い場所が必要なんだ。
そこには楳図かずお先生が描くような、闇の美が横たわっていることだろう、そこに身も心も委ねてこそ、キミらは部屋の多重性と心の多様性に気付き、上手に狂うことでイク回数も劇的に増やせるはずだ。
しかし、現在、モノが多すぎるイマドキの少女たちに隠れられるようなスペースがあるのだろうか?
その悩みに、私はこう答えて、特別性教育をシメた。
「目を閉じることだね。マンガ、DVD、雑誌を直視して、部屋に見つめられるより、目を閉じて、自らの心に埋没すること。そうすれば、闇の底で好きなだけ性の饗宴に浸れるさ」
今の人間は、目を閉じることの重要性を今一度振り返るべきだろう。
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