ここんとこカフェのあれやこれやに頭を巡らせているなかで、私自身が毎日でも通いたい“癒され処”とは何かを考え詰めてみた。
統計的に。
40年のあいだで私が長居してきたお店は以下の通りである。
一位・・・レストラン聚楽台(上野)
二位・・・喫茶レスト(市川)
三位・・・喫茶アンヂェラス(浅草)
四位・・・喫茶カトレア(新宿)
五位・・・喫茶ルノアール(あちこち)
ちなみに五回くらいしか利用したことがないけれども、打ち合わせや執筆作業で営業時間目一杯座り続けていたのは、コーヒーなど全品千円の談話室滝沢であった。アレは癒されるというよりストレスそのものだったと記憶している。
幼少時の頃からおなじみだった上野のレストラン聚楽台は、お座敷もあって、私は窓側に座るより、お座敷の方を好んだ。畳ではなく、ムシロのような座り心地が新鮮だったのである。
そう、座り心地。
他のお店も座り心地で利用度が違ったように思う。そのなかでも、あちこちに点在する喫茶ルノアールのソファは、ケツが思いっきり沈み込んで、そのまま居眠りするにはいいのだけれども、腰を上げる際は気合いを入れなければ立ち上がれないという難儀さに苦笑いしてしまう。JR本八幡駅北口店は犬神図書館の地元だけに利用度は高いのだが、私の知る限り、ルノアールのなかでいちばん沈み具合が半端ではないお店だ。
喫茶店に限らず。
大衆食堂や甘味屋、特にキレイめではなくきたなめの老舗の座り心地は、ケツの感触ではなく、肌がじかに接触する部分、即ち手のひらでの感触が利用度を高くする何かがある。
やはり木のぬくもりなのだろうか?
小説家の開高健は人生最良のホテルは、アマゾンはマナウスの木造ホテルだったと書いている。サヴォイ・ホテルなどの壁に比べて、マナウスのそれは視線が跳ね返って来ず、そのまま吸い込まれるようで、気持ちよく眠りに入れたのだそうだ。
それを考え合わせてみると、私の頭のなかには、アメリカの大統領リンカーンのエピソードが浮かんでくる。
彼には奇癖があって、煮詰まると森のなかへ入って、何日も帰ってこなかったそうである。
森のなかで原始人同様に暮らすことで癒されたのだろうとされているが、私自身に重ね合わせてみても全くその通りだと思う。
というわけで。
幻灯カフェなどの“驚異の部屋”をハイテクとしたら、木造カフェのそれはローテクとして、ハイテクとローテクが混在した、ほんとうの意味でのアトリエ、即ちアトリウムの輝かしさが思い浮かんでくる。
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