男の本能を刺激する?美女の泣き顔だけの映像作品「泣き顔ドキュメンタリー」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1085437&media_id=14
私の母方の田舎は新潟で、本家は佐渡島にあり、そこの血を継ぐ女たちは海民信仰を源流とする祈祷を家事と同じように身につけていた。
幸い、母の代からは全員が必須ということはなくなったようだが、幼少時に白い着物を着たババどもによってたかって、榊の葉っぱで耳の悪いのが治りますようにと頭をナデナデされたことはあまりにも強烈に覚えてしまっている。
それをきっかけに、私は様々な祈祷方法を目の当たりにしてきたのだが、今回のニュースで、
“泣き祓い”
というやり方を思い出した。
誰かが亡くなると、親戚でもないのに、むしろ遺族の依頼で出向いていって、通夜、葬式の場でワーワー号泣するのである。
これと全く同じものが東南アジアに見られ、私は南ベトナムで実際に目の当たりにした。
“泣き女”というのだそうで、調べてみると、大昔はアジア圏だけでなく、北欧などのヨーロッパ圏にも存在したらしい(アイルランドの女妖怪バンシーはその名残であろう)。
結婚する前、母の実家で泣き祓いの現場を目の当たりにしたオヤジの証言は単純であった。
「女の涙は新仏も納得して成仏するだろうなあ」。
その通り、老若を問わず、女の涙は非常に呪術性が高いのである。
男の涙にこだわったのは、近松門左衛門が筆頭にあがってくるが、「心中天の網島」を読むと、男のそれは女と比べていささか様式美のように思える。
“悲しい涙は目より出で、無念涙は耳からなりとも出るならば、いはずと心を見すべきに、同じ目よりこぼるゝ涙の色の変わらねば、心の見えぬは尤もゝ。エエ口惜しい、無念な熱い涙、血の涙、ねばい涙を打ち越え、熱鉄の涙がこぼるゝとどうと伏して泣きければ・・・”
それは現在に至っても全く変わらず、例えば、「巨人の星」の星親子の暑苦しい泣きっぷりはまさに様式美のそれであることが分かる。
しかし、女の泣き方はそうではないのだ。
文字通り、死者の心をとらえる何かがあり、それゆえに泣き祓い、泣き女としていにしえから呪術として活きてきたのであり、少女マンガの世界でもその泣きっぷりは、実に多種多様だ。
映画監督のデヴィッド・リンチはテレビシリーズ「ツインピークス」でドナ役のララ・フリン・ボイルをオーディションで見出す際、泣くことを要求して、彼女の泣きっぷりで決めたそうだが、恐らくその時のリンチの心の琴線そのものが今回のニュースにも受け継がれていると思う。簡単に「泣き顔フェチ」と言ってしまえばおしまいだが、私は私の信条としている、“人間性が明確になるのは破壊と狂気と地獄のなかだけだ”の一環として泣き顔に惹かれるのであり、女の泣いた後の「再生ぶり」に生命力そのものを感じて、ショックに近い何かを感じるのだ。
私はそういう次第で、女の子を色々なやり方で泣かせることを好むのだが、いちばん泣いてくれるシチュエーションは「ベロ出しチョンマ」を感情たっぷりに朗読して聞かせることである。
ちなみに次点が「赤い蝋燭と人魚」。
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