私はプロレスが大好きである。
祖父は好きではなかった(ショービジネスとしてのプロレスを軽蔑していたためだ)が、オヤジは私以上に熱狂していて、私が三歳になったとたんにプロレスごっこを仕掛けてきたものだ。
三歳相手にフライングメイヤー、ボディスラム、しかも今だと虐待以外のなにものでもない四の字固めまで繰り出していた。
それで、私は成長しながらオヤジ相手にアリキック、延髄斬り、コブラツイスト、ジャーマン・スープレックスともはやごっこではないプロレス技を覚えていった。
親子でガチンコのプロレスごっこに熱中するあまり、ある日、本堂でケンカをしながらのプロレス技の応酬で、私の延髄斬りが観音像に誤爆して観音様の首をもぎ取ってしまった。
それをピークとして、おとなしく試合観戦に没頭するようになったのだが、プロレスには文字通り、血湧き肉躍る何かがあった。
実際。
猪木が新宿路上でシンに襲撃されたことを知ると、オヤジは出刃包丁を手に外へ飛び出したくらいである。
それでシンを刺すつもりだったらしいが、誰かに通報されたらしく、包丁を研ぎに出かけたとか何とか苦しい言い訳をしておまわりさんと一緒に帰ってきたことをよく覚えている。
そんなオヤジと一緒に生まれて初めてプロレス観戦したのが、1975年のアントニオ猪木VSタイガー・ジェット・シンだ。
有名な腕折りの凄惨な試合の後の、比較的テクニカルな試合運びなのだが、今あらためて見返すと、猪木はかなりエゲツない。
シンよりも猪木の方がヒールである。
当時、私は六歳で、小学校一年生であったが、早速猪木ばりの「頭部へのドロップキック」を小学六年生相手にやって、病院で脳検査を受けさせるということをしでかした。
当然親を呼ばれて、オヤジが出向いたのだが、オヤジは一言「コイツは大の負けず嫌いでねぇ、ちょっかい出すとガップリ噛みつきますぜ」と嬉しそうに言っただけだった。
実は、ちょっかいを出されたわけではなく、野良猫に向かって石を投げる六年生を背後から襲ったのであった。
とにかく。
現在に至る私の全く躊躇しない攻撃のルーツは、アントニオ猪木のエゲツなさなのである。
テクニカルでありながら、反則も巧みに使いこなす。
そこに、当時の私はほんとうに血が騒いでいた。
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