私が生まれて初めて、天皇陛下の存在を知ったのは、お寺の応接室にあった明治大帝のレリーフだった。
金色の菊の御紋のまぶしさ、青銅の鈍色の奥から除く切れ長の視線は、幼少時の私には恐ろしかったらしい。
何度も明治天皇がレリーフから抜け出て、寝ている私を真上からにらみつけているという悪夢を見た。
そのことを真っ先に話したのは、母だったが、母は本気にせずに笑うだけだった。
真面目に聞いてくれたのは祖父と祖母で、祖父は面白がり、祖母は青ざめていた。
祖父は「先祖の血がそうさせているのだ」と言い、祖母は「明治大帝に対して何という無礼な!!」と狼狽していた。
私の父方の先祖は、藩士だった曾祖父をさかのぼると、太田道灌(幕府側)と戦った成氏側の武家になるそうで、祖父いわく、“権力の敵”の家柄なのだそうだ。
実際、曾祖父は藩のなかでも問題のある人間だったらしく、今で言う「窓際族」の閑職に追いやられた(蘭学の記録係だったらしい)のだそうだが、戊辰戦争の際は明治新政府を蛇蝎のごとく忌み嫌って積極的に戦闘に参加した。
そういう血の記憶が、明治天皇を怖がったのだろうということで、祖父の一言でレリーフはお寺から外され、元々嫁入りの際に持ってきた祖母の別荘、即ち市川に掲げられることになった。
しかし、皮肉なことに、聾学校が市川にあるという事情で、市川の家で暮らすことになった私は毎日明治天皇と顔をつきあわせなければならず、ひたすら平伏して拝む祖母の目を盗んで、外して裏庭に埋めてしまった。
当然、祖母は烈火のごとく怒り狂い、明治大帝は神様だ、その神様に何ということをする!!と、私に罰として、神武天皇からの歴代天皇の名前をすべて言えるように暗記を課した。
どこかへ埋めたという明治天皇のレリーフは、一度地に潜ってしまわれたのだからもう掲げられないということで、それ以上は執着しなかった。
おかげで。
私は今でも歴代天皇の名前をそらで全部言える。
ついでに、祖母亡き後、市川の家を売却するために庭の樹木を伐採するなど整理していたら、何たることか、地中から明治天皇のレリーフの残骸が出土してきた。
ボロボロに錆びて、見る陰もないのだが、幼少時の私を怯えさせた眼光はなぜか、優しげな眼差しに変わっていた。
掘り出した時の私は、ほんとうに驚いたのだが、あらためて天皇陛下が自分にとって何であるかを考えさせるきっかけになった。
その頃には、「はだしのゲン」、「ひかりごけ」、そして「英霊の声」の影響で、天皇陛下に心酔、服従せずという反権力の血がわき起こっていたのだが、私が敬愛する博物学者の南方熊楠を想って歌を詠んだ昭和天皇の優しさを本で読んで、脳天を打ち砕かれるような衝撃を覚え、憎むだけでなく愛するという愛憎の想いへと化学変化を起こした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0
おまけに、祖父の日記で、書家としての大正天皇に心酔するというくだりを見つけ、大正天皇の書を観に行った時も、かなりの化学変化を起こした。
犬神図書館には、昭和天皇の「天草諸島のヒドロ虫類」、今上天皇の「日本産魚類大図鑑」が南方熊楠の著書とともに並んでいるのだが、“知”の分野で日々研究を重ねておられる天皇家の人々を私は敬愛する。
そして、天皇陛下であるがゆえに、常に特別視され、岡田外相ごときに注文をつけられるという現状を私は嘆き悲しむ。
それで、いつも妄想するのだ、愛する天皇陛下のために、心安らかに研究に没頭出来る環境を作って差し上げようと・・・
そのために、天皇家を滅ぼして、別に“新皇”を立てるという、平将門以来の選択肢も頭をよぎることがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9A%87
今。
国旗を旗日(休日・祭日)に門前に必ず掲げる私が愛する日本は、そういう思い出のなかだけにしか存在しない。
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