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2009年10月14日00:29

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磔刑幻想のこと。(再掲載)

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生まれて初めて、磔なるものを見たのは、ウルトラ兄弟だったと記憶している。

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加えて、当時の特撮番組ではなぜか磔のシチュエーションが多かった。

それ以来、私は磔に心惹かれるようになり、十字架に磔にされたキリスト像以外の古今東西の磔の写真や絵を蒐集するようになった。

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その過程で思春期の男子として当然、女性が磔にされる図には痙攣的なものを感じ、SMのシチュエーションとしても専門的に極めた。

海外にはいわゆる磔マニア専門の雑誌や映像ソフトがあり、私も数点持っているが、すぐに飽きてしまった。
しょせんは“ごっこ遊び”に過ぎなかったからである。

それでもう一度我が国の拷問史を振り返って、磔を物語として昇華させたのはやはり「東海道四谷怪談」の“戸板返し”だろうと気付いたところから再スタートさせた。

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戸板に打ち付けられるのも、磔と同じ効果があるのだ。
それは、象徴として、苦悶する姿、死体から何か別のものに変化していくという効果である。

もっと突き詰めるために、実際に釘を手足に打ち込んで磔にするというフィリピンの奇祭を見物しに出かけることもした。

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映像は中年男性だが、私の時は何と、十代の年端もいかぬ少年少女であった。
さすがに問題になったらしく(海外メディアの猛烈な攻撃を受けたと聞いている)、それ以降は欧米向けに「改善」しているようだが、私が現地のガイドから聞いた話では、“子供が一番効き目があるんだ”とのことだった。

なるほど、苦痛にじっと耐える少年少女の表情は、痛々しさを通り越した“何か”があった。

その“何か”に打ちのめされたまま、私は自分自身の磔刑幻想との向き合い方を少しずつ整えている。
SMのシチュエーションで快楽の種にするのもいいだろう、しかし、それは私の向き合い方ではない。
そこから一歩進むことが出来ないから、飽きてしまうのだ。

それで今は、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画「小人の饗宴」のワンシーンを私の向き合い方の理想としている。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=8019

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数個の植木鉢(教師が大切にしているもの)にガソリンをかけて燃やし、その煙のなかを、十字架に磔にした猿(施設のペット)を掲げて行進する様は、唖のごとくうまく表現出来ない私にかわって、私の心を十分に代弁していた。

そして、私はキリストの代わりに釈放されたバラバの運命に想いを馳せる。
バラバは生まれついての極悪人ゆえに、キリストがなぜ自分の身代わりに磔になったのか理解出来ず、方々をさまよった挙げ句、自分自身も磔になってしまう。
そこで初めて、彼は何かを悟ったのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%90

ペール・ラーゲルクヴィストが「バラバ」(岩波文庫)で描く、人間の意識変容の彼方を私も見てみたい。
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