ココの件で一見さん(通りすがり)たちからは、私はロリコン、あるいはペドフィリアなのかという問い合わせを頂いたけれども、その傾向はバッチリあると申し上げよう。ついでに言えば、ショタも入っている。
ただ、マイミクさんたちはすでにご存知の通り、性欲処理という次元ではなく、全く違う次元に向かう上での少女、少年愛である。
さて。
今回は、祖父と全く同じキャラと言われる私がロリコンということは、祖父も同じ趣味があったのではないか、というマイミクさんからのツッコミにお応えして、祖父の少女趣味について語ろう。
祖父の日記によると、大正時代の某日、美術関係の仕事に就いている檀家から、ジョージ・ヘンドリック・ブライトナーの「白い着物の少女(Meisje in white kimono)」の写真を見せてもらって、非常に感銘を受けたと興奮気味に書いている。
つまり、この絵の少女こそが、祖父にとっての“絶対少女”であったわけだ。
それで、「赤い靴」、「蒼い目の人形」の童謡を狂ったように何度も聴き返し・・・
孤児の異人少女を養子に引き取ろうという計画を立てた。
祖父の言い方では“帰化人少女”と書いてあるが、これについては以下のように説明している。
欧羅巴もしくは米国の白人、特に金髪と青い瞳の娘に限つて、養子に迎えたひ。
これに着物を着せ、金髪は黒く染め、青い瞳は黒目を嵌めて日本人の娘として育てたひ。
異国の言葉を忘れさせ、日本語のみを覚えさせて日本人の娘として自覚させたひ。
その願望は残念ながら成し遂げられなかったけれども、戦後は浅草寺に観光に来る駐屯軍の米兵たちの娘に浴衣を着せて記念写真を撮るというサービスを考え出して、檀家の写真屋とともに大きく稼いだようで、その時の焼き増しの一部が今でも土蔵に残っている。
もちろん、祖父は稼ぎが目的ではなく、異人の少女に着物を着せて写真に撮ること自体が目的だった。
数枚のうち二、三枚は、金髪(モノクロだから白髪なのだが)を墨で黒く塗りつぶした跡があって、祖父の“帰化人少女”にかける夢の切なさをひしひしと感じた。
だから、流暢に日本語を喋るフランソワーズ・モレシャンをテレビで見る度に、必ず何ともいえない目をしていた祖父を懐かしく思い出す。
註)フランソワーズ・モレシャンについてはウィキをご参照あれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3
私はそういう祖父の夢を、若い頃は賛成出来ずに、異国の女とヤリまくってハーフを作ればいいじゃないかと、中学生の時からあちこちの国々にペンフレンドを作って自作のポエムばかり書いて送っていた。
そのうち現在でもつきあいがあるのは五人だけで、五人とも私とはヤらずに清いままの友情で結ばれている。
彼女たちは全員善き主婦だが、私の少女趣味をティーンエイジャーの頃からうんざりするくらい聞いているので、「いつか孤児の少女を見つけたら日本へ送るわ」と約束してしまったくらいだ。
今の私は独身貴族でそれなりに余裕のある生活を送っているので、一人くらい養子に迎えてもいいかなと思う時が度々ある。
その際、思い浮かぶのが祖父の“帰化人少女”とペンフレンドたちとの約束である。
もしも・・・
私のところに金髪、青い目の少女が来たなら・・・
嬉々として帰化名を考えるだろう。
「メアリー(Mary)」という名前なら、「マリ子」にするとか・・・
嬉々として金髪を黒く染めさせるだろう。
茶髪系の日本人以上に日本人らしくあれという願いを込めて・・・
嬉々として青い目に黒目のコンタクトを嵌めさせるだろう。
青より黒の方がすべてを呑み込むということを体感させるために・・・
そうして、日本語を覚えさせ、日本人としての自覚を植えつけることによって、私自身も日本人であることの何たるかを噛み締めたいのだ。
ちなみに。
当寺にホームステイしているヒルダがちょっと前、自分が日本人だったらどんな名前になるかというのを聞いてきたので、私は“おヒル”と時代劇風に呼んでやった。
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