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2009年02月13日23:36

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映画「ランボー 最後の戦場」を観る。

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http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=327928#1



DVDでついにランボーシリーズ最終章、「ランボー 最後の戦場」を観た。
私はデイヴィッド・マレルの処女作の「一人だけの軍隊(First Blood)」を映画を観る前に、ハヤカワ文庫で読んでいて、小学六年生の時に陶酔していたギャビン・ライアルの「最も危険なゲーム」、デズモンド・バグリイの「高い砦」に並ぶ、冒険小説の最高峰のひとつだと感心していた。
マレルの描写は極限状態における人間らしさを追体験させるのがうまく、ランボーが仕留めた犬使いのオーヴァルからドライソーセージを得てガツガツと食べるシーン、ランボーを追う警察署長のティーズルが森林のなかを逃げながら頭に濃厚なベーコン入り豆スープを思い浮かべるシーンなどで、喉をゴクリと鳴らしたものだ。

過去日記でも触れているので、以下をご参照あれ。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=817860702&owner_id=1640816

ベトナム帰還兵の苦悩をダイナミックに描いたという点で、スタローンの第一作は確かに成功したのだが、原作でティーズルとともに死んだはずのランボーを無理矢理蘇らせて、「怒りの脱出」、「怒りのアフガン」と続いたのは、マレルも無理矢理ノヴェライズさせているのと合わせて、失笑してしまった。
映画としては確かに迫力がある。
釣られて、ランボーナイフもコレクションしてしまったくらいだ。
しかし、ジョン・ランボー個人の悲劇は一体どうなってしまったのか?
せっかくのストーリーを単なるアクション・エンターテイメントとして貶めてしまった失敗作のいい見本だと私は永らく思っていた。

しかし。

「ランボー 最後の戦場」で、私はスタローンが今までのようにランボーをマッチョに演じるのではなく、映画人として、戦争描写の極限に迫ったというチャレンジ魂を見た。

飛び散る肉片、バラバラになる人体、身体に空く風穴からふきこぼれる内臓・・・
進化した映像技術を、ファンタジーではなく、徹底したリアルにもっていったスタローンの挑戦・・・
そこに、私は、遠く離れたところから中国のチベット支配を非難して北京オリンピックから降りたスピルバーグとは違う、ロッキーそのものの飽くなき挑戦を見るのだ。
自分の手を汚してこそ、戦争を語る資格がある・・・
だから、残酷すぎると一蹴されても、キャリアに傷がついても、スタローンはランボーとして戦争描写の極限に迫ったのではないだろうか。

従って、ストーリーはあまり意味を持たない。
ただ、ただ、阿鼻叫喚の地獄絵図の徹底的なリアルさに息を呑め!!ということなのだ。

マレルの小説描写に勝る映画の可能性は、実はそこにある。

ヒロイズムもヒューマニズムもへったくれもない、殺して、殺して、殺しまくる。そのなかで明確になる人間性の裸ぶりを見よ。

特に救出された医師団のひとりが敵に飛びかかって、石で何度も頭を殴って殺すシーンは、なぜか涙が出てきた。
あのシーンは、ほんとうに、チベットに始まり、ミャンマー、そしてイスラエルを平和主義のきれいごとだけで糾弾してヒステリックに叫び回る連中に見せてやりたい。

恐らく、スタローン演じるランボーの哀愁を帯びた眼差しの理由はそこにあるのだろう。

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そういうわけで、私はスタローンを見直した。
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