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2009年01月03日00:07

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映画「ミスト」を観て。

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http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=329978#1

キングの原作「霧」と出会ったのは、昭和五十七年に発行されたハヤカワ文庫のカービー・マッコーリーが編んだ「闇の展覧会」というアンソロジーのなかだった。
だから、私が13歳の時である。
その頃には、キングの小説は大体読んでいて、「キャリー」、「シャイニング」、「クージョ」は一通り通過して、「霧」と並んでラヴクラフトへのオマージュとされている「クラウチ・エンドの怪」も読んでいた。
最初の印象は、未知の怪物への恐怖よりも、極限状態のなかでおかしくなっていく人間そのものへの不快さだった。
だから、ミセス・カーモディーが撃たれた時は、一種のカタルシスを感じたものだ。
一応、私も宗教者のはしくれなのだが、私の信仰の対象は仏を通した自分自身の心にあるので、少なくともミセス・カーモディーのように贖罪だの人身御供だのと騒がないだろう。
むしろ、いやらしいまでにデフォルメした蜘蛛の化け物を目の前にしても、冷静に行動出来るように恐怖感、嫌悪感を腹の底に呑み込むことに努力するだろう。
一昨年、「霧」が「ミスト」としてついに映画化されたというニュースを聞いた時、私はすでにキングとキングがかかわった映像には失望を覚えていたので、それなりの興奮は感じなかった。
というのは、小説「IT」のクソ長い饒舌ぶりにつきあいきれなかったし、キングによってアメリカ版としてリメイクされた「キングダム・ホスピタル」のあんまりな出来に憤慨したからだ。
キングは「シャイニング」で終わった。
そう思うことにしていた。
従って、友人たちから「ミスト」を観たか、アレは凄いぞ!!と聞かされても私は生返事をするだけだった。
13歳の時に読んだ「霧」の鮮烈さを穢したくなかったというのもある・・・。

そして今年に入って一番初めに、ついに「ミスト」をDVDで観た。

ハッキリ言って。
過去の、13歳の私自身もそこにいるかのような錯覚を覚えた・・・
何ということだろう、捨てたはずのキングが再び生き生きとして私のなかに戻ってきている・・・。
怪物の描写以上に。
スーパーに閉じ込められた人々の表情が不快で、いい意味で最も不快だったのがマーシャ・ゲイ・ハーデン演じるミセス・カーモディーだった。
それにしても映像化された怪物の何といういやらしさよ!!
おかげで蜘蛛の化け物どものシーンには、飲んでいた泡盛を唇の端からこぼしたくらいだ。

素晴らしい。
霧の描写が特に。

ジョン・カーペンターの「ザ・フォッグ」の霧と違うのは、原作でもそうだったのだが、霧そのものが人間の心の不安感を表しているという点である。
それが濃ければ濃いほど、人間たちはおかしくなる・・・
私がこれだけの濃霧を経験したのは、長野の山中、そしてイギリスのコーンウォールだったのだが、ほんとうに世界の終わりという印象を受けたものだ。

だから。

私はあの原作にはないラストを肯定する。
それどころか、映画が初めて原作を凌駕した希有なケースとして賞賛する。
私でもああいう状況なら、主人公と同じ行動を取るだろう。
その後にああいう結末が待っていると分かっていてもだ。
すべては霧のせいなのだ。霧が心を覆っている限り、絶望感が晴れないのは当然のことなのだから。

「霧の中に潜んでいるのは、さほど化け物じみた生物でもなかった。私がピンチバーでやっつけたように、やつらはラヴクラフトの小説に出てくる不死の生命を有する怪物などではけっしてなく、それなりの弱点をもった有機生物にすぎない。こちらの気力を弱めて意志を奪っているのは、霧そのものにほかならない」

その点を鋭くえぐったことで、原作を見事に凌駕してしまった映画「ミスト」・・・

久しぶりにズシッときた。


おまけ。以下、mixiレビュー。ご参考に。

http://mixi.jp/view_item.pl?id=1069303



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