2004年06月27日(日)
少女に学ぶ、あるいはスコトタキシス。
・・・人体が美しく進化したのに、性器だけは取り残されている。性器はいまなお動物的である・・・
フロイトのこの言葉は、実に、深く考えさせられる。
この言葉を、身体で証明するのは、いつでも、どこでも、常にセックスそのものを商売にしている者だ。
即ち、売春である。
人間の、動物的な部分は、決して倦むことを知らないし、それゆえにいい商売になるのは、人間の歴史が始まって以来の真理だ。
従って、私は、売春を否定しない。
むしろ、春を売る女を全面的に尊敬している。
文字通り、カラダを張って、人生そのものとガチで渡り合っている彼女たちと、肌を合わせることで、人生の深みを学べるからだ。
そして、私が女を買う時、注意することがある。
その女が、生物的にも、心理的にも、スコトタキシスであるかどうか・・・
スコトタキシス、走暗性のことで、カタツムリ、ダンゴムシ、ムカデなどといった、常に暗闇の方向へ移動しようとする生物の特性だ。
要するに、陰のある、ワケありの、不幸な女性が好みなのだ。
逆に、フォトタキシス、走光性の、常に明るい方向へ移動しようとする女性には、小指ほども心を動かされない。
私が初めて女を買ったのは、愛媛県の漁村だった。別府から四国へフェリーで渡った際に、降り立った漁村で、親の借金に縛られた少女の誘いに応じて、彼女を有り金全部で買い、目的地の高知市まで徒歩で移動した。
ひび割れた砂壁、ねじ式の錠の窓、しみだらけの天井、奇妙なまでに柔らかい畳の、少女の家でのセックスは、私に日本人の原風景のひとつを教えてくれた。
化粧ひとつない、無垢な少女が、風呂上りの火照った頬を、さらに紅色に染めながら、私の袖をおっかなびっくり引っ張って、消え入りそうな声で「うちに泊まりませんか?」と囁いた、あの瞬間を思い出す度に、私の心は闇の中でのたうちまわるカタツムリのように、にっこりと微笑む。
そして、最後に買った女は、兵庫県神戸市で、あの阪神大震災で一家離散してしまった中で、一人たくましく生きる少女だった。
彼女は、小学生の時から、売春で食ってきたという強者で、何度も警察に補導され、児童福祉施設に送り込まれても、常に脱走して、ロリコン中年相手に春を売り続けてきたという。
典型的なスコトタキシスだった。
「まともに生きろだなんて、アホらしいわ、こんなに稼げんのに、やめられるかっちゅうねん」
それでいて、カラオケでは必死に、モー娘を歌っていた彼女。
私はそんな彼女を、松の木のように、がっしりと、きつく、抱きしめながら、首筋や乳房を思いっきり咬んだ。
その瞬間、彼女の子宮は、痙攣するように、私そのものを全て吸い取るように、収縮した。
今。
大人たちは、年端もいかない少女たちに学ぶものが多すぎる。
生きることのリアルさを。
今日はここまで。
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