作品を創る時、あなたは霊感というものを活用するだろうか?
活用するならば、その霊感はどこで?
ジュゼッペ・タルティーニの「悪魔のトリル」は、ベッドのわきで悪魔がバイオリンを演奏している夢を見たのが元になっているというのはよく知られている。
夢を見ることで霊感を得るというのは、誰にでも出来ることだけれども、霊感を得られるように夢そのものを神秘的な世界にしてしまうことは、誰にでも出来ることではない。
私の場合。
以前の日記でも述べたが、夢を第二の人生と受け入れることがひとつのカギなのではないかと思っている。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=897958438&owner_id=1640816
今日は久しぶりに、作品のネタになりそうな断片的なオブセッションを夢に見た。
■三つ子の子供たちがそれぞれ見分けられるように、違った服を着せても、しばらくすると、色が落ちるような感じでおそろいの服になってしまう。
■川を気まぐれに上ったり下ったりする、移動式木造駅舎があり、そのホームでは年老いた人々がいつ来るか分からぬ列車を待ち続けている。
■ある名家の親族会議で、次々と死ぬ男兄弟たちの遺影を前に、末っ子が「俺は叔父を辞める!!」と家長に宣言して、親族たちが必死になって慰留する。
家長は恐怖の表情で「叔父がいなくなったら、あれが来る、あれがやって来てしまう」と繰り返している。
■川の水がひくと、そこからは見たこともないグロテスクな建造物が現れ、これまた見たこともない容貌をした住人たちが眠りから目覚めるという伝説を聞かされるが、夢の中の私はニヤッと笑ってしまう。
今年の春に、サンディエゴのラヴクラフティアン(ラヴクラフトのファンという意味)仲間から、日本版クトゥルー神話を書いてくれないかと言われて、書けたら書くと返事しておいたのだが、こんな夢を見てしまったからには、いいのが書けそうである。
ちなみに我が国ではクトゥルー神話を題材に、俳優の佐野史郎さん、推理小説家の高木彬光氏など、色々な人が作品を発表しているけれども、栗本薫の「魔界水滸伝」だけはとても読めたものではないので、注意深いチョイスが必要だ。
ともかく。
夢から霊感を得たいと思うならば。
夢を畏れることなく、あるがままに受け入れられる自然体であれ。
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