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2008年08月31日18:41

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S'il vous plaît entrez dans une cage à oiseaux.

前回の日記で、バードケージのような空間を夢に見たつながりで、今回は私の趣味のひとつである鳥かごについて思いつくままに語ってみます。

我が家には昔から当たり前のように文鳥や九官鳥を飼うための鳥かごがありましたが、あまりにも当たり前すぎてかえって目に入らなかったんですよ。

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それが初めて目に入るようになったのは、下のようなマグリットの絵を観てからでした。

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口では言い尽くせない何か。

それを抱えたまま。
動物園のバードケージ、檻などを見てきて、こちらとあちらを隔てる鉄棒と金網、強化ガラスをボーダーラインとして、肉体は囚われても心は自由に行ったり来たり出来るのだという考えに取り憑かれたものです。
それで、家庭でも気軽に観察出来るボーダーラインとしての鳥かごに執着するようになったわけです。
ハッキリ申し上げて、私は水槽の熱帯魚と同じく、小鳥そのものには熱中しませんでした。
鳥かごの中に入るものなら何でもよかったのです。

竹ひごと木でもって手製の鳥かごを作ったりもしましたが、水木しげる先生の「不死鳥を飼う男」を読んでからは、以下の画像を参考に豪華なやつを作って、水槽のディスプレイと同じく、自分の世界を自分の手で作り上げる悦びに目覚めていきました。

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高校生になって、小鳥を飼っているクラスメイトを友人に持つと、色々情報交換をして、世界には色々な鳥かごがあることを知りました。

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その過程で、鳩小屋を趣味にしていたオヤジの影響で、鳩小屋にも色々なタイプがあることを知りました。

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このタイプがオヤジが一番好んでいたスタイル。
屋根の上にバラックを組んで、鳩小屋に仕上げる。
防寒用に裸電球を下げて、その明かりの中、しゃがみ込んだオヤジが何時間も鳩を眺めているのに、少年時代の私はボーダーラインを突破した自由さを感じたものです。

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上の二枚は北京のもので、あちらは食用に飼っているのですが、そのせいか我が国のそれより密着した感じがします。

大人になって、海外ロケに従事していた時期に、フランスのアンティーク市場にて、下のような鳥かごが出品されているのにときめいたりもしました。

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そこで知り合ったギーガーの崇拝者と公言する若い女性アーティストが作った、ボーン・バードケージを見る機会もあったのですが、人間の肋骨で作った鳥かごというのは、ハッキリ言って幼少時にマグリットの絵を観た時に想像していましたから期待はずれでした。
というより、誰でも思いつくものでしょう。

肋骨の中を何かが滑り落ちる・・・

こういう言い回しを本の中で読んで以来、好んで繰り返しながら、男ならやっぱり誰もが思いつく、少女を鳥かごの中に監禁するシチュエーションに深く没入したりもしました。

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私がそれを初めて意識したのは、ディズニー映画の「ピーターパン」にて、ティンカーベルを捕まえて閉じ込めるというシーンでした。
そこからつながって、小学校の飼育委員会をやっていた時、気の強い生意気な女の子(実は好きな女の子でした。笑)をうまく誘い込んで凶暴なレグホンのいる飼育小屋の中に閉じ込めることもしましたが、ものすごく泣きわめいたので、一生分の欲求は使い果たしたと満足し、後は「どういうシチュエーションが一番萌えるか」を純粋に想像するだけで今日に至っています。
より深く没入してしまうと。
いつの間にか、少女と鳥かごのボーダーラインが消滅して、一体化してしまうんですよ。
そこから幻のように現れたのは、真っ黒なチャドルをまとったイスラム女性。

「私とあなたを隔てるものはこの黒い布。これをめくりさえすれば、あなたは私の肌に触れられる。しかし、あなたは決して私の心に触れられない」

その通り。
男にとって最高の獲物とは、まさしく女心なのです。
もっと極端に言ってしまえば、女性も自分自身もひっくるめて、小鳥のように自由に羽ばたく心そのもの。

それで、やっと、幼少時に観たマグリットの絵が理解出来たような気がしました。
続いて、私がなにゆえに、鳥かごに執着し続けるのかも。

今現在。

私は小鳥を飼っていませんが、私の家に遊びに来たことがある方は部屋の隅っこにひっそりと置いてあるアイアンの鳥かごの中に眠っているものを見て、何を飼い続けているのかを悟ったことでしょう。

それが何かは説明しませんが、代わりに「かぎのない箱」の「三つ目のかくればしょ」の一部分を引用します。

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「セベリ、わたしがいないので、さびしかった?」とバップがきいた。
「ぼくのしあわせは、あなたといっしょにきえてしまった。もうぜったいににげないとやくそくしてください。」
「やくそくしましょう。そのまえに、ただ一つ、していただきたいことがあります。もし、わたしがさがしだせないくらい、あなたがうまくかくれたら、わたしは、二どとあなたのもとをはなれません。でも、いいこと、わたしがさがしだせないときに、そのときだけ、あなたとごいっしょになれるんです。」
セベリはまよった。バップのいうことがわからない。けれども、じいさんが、その耳にささやいた。
「おまえのために、おまじないをおしえてやろう。目でみてわからないところにかくれようとおもうとき、このおまじないのことばをくりかえせば、またたきするまに、おまえのすがたはどこかにみえなくなるぞ。ためしに、にげていくウサギのむねのなかにかくれてごらん。」
セベリがいちばんしたくないことは、バップからかくれることなのに、バップをもらうためには、どうしてもバップのいいつけどおりに、かくれなければならない。
それで、セベリは、足にまかせてこんかぎり、かけだした。野をこえ牧場をとおり、山をこえ谷をわたって、とうとう森のなかですぐ目のまえににげていくウサギをみつけた。
「ウサギよ、ウサギ、はいいろウサギ。」
セベリがこうよびかけると、ウサギはたちどまって、耳をかたむけた。
「こつ、こつ、こつ、おまえの心の戸をたたく。いれておくれ、いれておくれ、はいいろウサギ。」
すると、はいいろウサギは、セベリに心の戸をひらき、セベリはみえなくなって、むねのなかへおどりこんだ。
あくる朝、バップは目をさまし、じぶんの魔法の水晶の池をながめた。すみきった池のそこに、セベリが牧場や山をこえていった道がみえた。そして、小さなはいいろウサギのむねのなかにおどりこんだセベリがみえた。バップは風のように、セベリのたどった道をとおって、すぐにセベリをみつけだした。
「あなたは、かくれんぼがあまりおじょうずじゃないのね。」とバップはわらいながら、「でも、もういちどしなけりゃいけません。きっと二どめはうまくできるでしょう。」
こんどはセベリは、大きな黒クマのむねにかくれようとかんがえた。はしりにはしって、とおい山にはいり、ふかいほらあなのなかにクマをみつけた。
「こつ、こつ、こつ、おまえの心の戸をたたく。いれておくれ、いれておくれ、黒毛のおやじ。」
そして、セベリは、クマのあたたかいむねのなかにとびこんで、じっとまった。
つぎの朝、バップはまた、水晶の池をみて、セベリのたどった道を知った。そしてまたバップは風のようにはしって、ほらあなにつき、黒クマのまえにたった。クマがバップの美しさにうたれて、その足もとにひざまずくと、バップは、からからとわらいだして、
「セベリ、セベリ、あなたはわたしからかくれきれないのね。みつけた。ほーら、みつけたわ。」
そこで、セベリは、かくればしょからでて、しおしおとバップと城にかえった。
かがやくしらがのじいさんは、セベリのそばにきて、
「どうだろう、バップのむねのなかに、かくれては?」
「いいことをおしえてくださって、ありがとう。」セベリはそっとれいをいうと、すぐさま、こっそり、となえことばをくりかえした。
「こつ、こつ、こつ、おまえの心の戸をたたく。いれておくれ、いれておくれ、心の宝石。」
すると、バップは、うろたえて、あたりをさがしまわり、
「あら、セベリがすぐそばにいたのに、もういなくなってしまった!」
と、いって、あわてて、水晶の池にかけつけた。いくら、じっとながめても、こんどばかりはやくにたたない。セベリがどこにかくれたか、まるでみえない。
「バップ、いとしいひとよ。あなたには、ぼくがみえる?」
こうセベリのこえがひびいた。
「では、どこに?」
「ここさ、あんたのむねのなか。」
「だれが、そこへつれていったの?」
「あんたさ、バップ。あんたがぼくをここへつれてきた。」
「それでは、いったいなにがほしいの?」
「あんたさ、バップ。あんただけがほしい。」
セベリはこうさけびながら、かくればしょからとびだし、バップとむきあって、たった。


ロマンチストの極みかもしれませんが、心のなかの自由な羽ばたき、そして囚われてこその自由の味わいは、鳥かごを通して、人生のなかで幾度も噛みしめたいものです。
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