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2008年06月22日17:48

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世界が滅んでも君の庭は残る。

鎌倉に住む友人から、造園を手伝ってくれと言われた。
特に、水辺は私の十八番とする分野なので、個性的に造ってくれれば全部任せるとのこと。
「おおざっぱに、どんな具合にしたいんだい?」と私。
「そうだね、ヴィラ・アドリアーナかな・・・」と友人。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8A

そう言えば、彼のローマ遺跡趣味は、アニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」に影響されたと聞いた。
クライマックスの水中から現れるローマ遺跡の美しさに魅了されて、何度もイタリアに飛んで何時間も遺跡に佇むということをしてきたのだそうである。

私もあの作品は観たが、当時の「庭園趣味」はまだ規模が小さかった。幼少時は聴覚障害の会話訓練で国府台の聾学校に通っていたのだが、小学部の校庭にあった、崩れかけたコンクリート製の白鳥が蓮とともに浮かんでいる長方形の人工池が、人生初のビオガーデンだった。
そこで、私はメダカやアマガエル、アメンボ、ホタルを知ったのだ。
隣の和洋女子学園の校門から入ったところに広がった人工池はもっと大きく、濁った緑色の水面下に、何かが泳いでいるのが(後で知ったことだが鯉だった)眺めてて面白く、聾学校から無断侵入しては池のふちに座って、何時間でも見つめた。

つまり、人工池こそが私の「庭園趣味」の出発点であったから、水辺関係が十八番になったのも当然の流れだった。

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しかし、夢の中では、幼少時からこういう景色を何度も見てきたので、実際にビオガーデンを造る時は、文字通り、見果てぬ夢を創作に全力でぶつけるのだと知った。
それゆえに、ヴィラ・アドリアーナを始めとした有名な庭園の数々は奇想たりえるのである。

さて、友人と現実的なビオガーデンの設計図を用意するところで、色々な例を見てみた。

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まず、友人が選んだのはコレ。
確かにこういうのが造れるほど、友人の庭は広い。
しかし、生き物は棲めない。
そのことをツッコんだら、引っ込んでしまった。

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こういうのなら、全然余裕で現実的である。
後は、オリジナリティ、即ち自分の心のうちに秘める「見果てぬ夢」を創作力に換えて、全力で打ち込むだけだ。

高校生になって、映画監督アンドレイ・タルコフスキーと出会ってからは、私の「庭園趣味」はますます確固とした方向性になった。
そのあたりは過去日記にてズバッとあらわしているので、ご参考に・・・

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=842002139&owner_id=1640816

タルコフスキーには特にこういうのに影響を受けた。

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それで、自分のところでも、新しく買ってきた石膏像をわざわざ池の中に乱暴にぶち込んで、壊して、欠けたそれに次第に苔が生えてくるのを愛でるということをよくやっていた。

つまり、友人は、私のアクアリウムへのこだわりに信頼をおいているのではなく、廃墟志向へのこだわりに信頼をおいているのである。

すべては水と緑に覆われる・・・

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他にもビオガーデン造りに熱をあげている友人がいて、以下のサイトを参考にしているそうだが、

http://item.rakuten.co.jp/aoyama/c/0000000132/

他人と同じものを買ってもしょうがねえだろとバッサリ切り捨てている。

以前、部屋はその人個人の心理風景である、と古人の言葉を紹介したが、それと同じく、庭園は内部風景なのだ。
それゆえに、現実へと侵犯させた内部風景の具現化の結晶であるビオガーデンは、例え世界が滅びようとも、ずっと残るのである。

その証拠に。

今はもう無い、国府台と和洋の人工池の水の匂いは、今でも私の心にいつでも鮮やかによみがえるし、私が自分で石を並べて造った池から漂う涼しい緑色の空気の感触は肌にいつまでも残っている。
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