お世話になっていた檀家のおじいちゃんが亡くなった。
九十八歳。老衰。
大往生である。
お寺だけでなく、私に個人的に刺繍を教えてくれた恩人でもある。
金彩刺繍というのだが、みなさんはご存知だろうか?
まずは、お宮参り用の「真っ赤なおべべ」の装飾から始まり・・・
羽子板の装飾でその技術の集大成が結晶化する、我が国の国宝級の無形文化財の技術だ。
私はおかげでチョーランの裏地に風神、雷神の刺繍をしたり、布製の掛け軸に竹林に潜む虎の図絵を縫いつけたり、根気のいる仕事が楽しくなってくるということを知ったのだが、おじいちゃんは、私の刺繍は糸がもったいないと手厳しかった。
「おめえはよ、どうも遠回しに縫うってえより、直接お人形さんの肌をなで回す方がむいてらあな」
それで、人形の久月のバイトを紹介してくれたのだが、そこでのバイトもいい体験になった。
ある年の羽子板市での会話を私は決して忘れない。
「ちぇっ、どいつもこいつも世間に踊らされて妙な羽子板作りやがって。そういうのに限って、基本がなってねえんでえ、基本がよ」とおじいちゃん。
「でも、あのダイアナ妃の羽子板なんかよく出来てますぜ」と私。
「バカ野郎、てめえの目は腐ってやがんのか、あの縫いつけを見てみねえ、てんでバラバラじゃねえか。てめえが作ったガラクタの方が売れるわ。いいか、何事も基本なんだよ。おらぁ、この齢んなっても、針の穴に糸を通すのに気に入った角度で通らなきゃ、何度もやり直してるんでえ。つまり、心からビシッとしてなきゃあ、何作ったって、バラバラになるんだよ・・・」
亡くなった知らせを受けた時、葬式は現住職のケンタが(お経を)読んでもいいが、お通夜は是非私にという遺言だったとのこと。
最後に会ったのは、一昨年の初夏、うなぎの色川だったのだが、おじいちゃんは自分が死んだら、しっかり死に顔を拝みなと言っていた。
「てめえはよ、女ばっかし撫でまわしやがって、肝心の芸術がからっきしじゃねえか。だから、オレの死に顔をしっかり目に焼きつけとけ。てめえのキンタマが縮み上がるくれえに、にらみつけてやっからなあ」
でも、おじいちゃん。
オレは死に顔じゃなく、おじいちゃんの手のひらと指をじっくり拝むよ・・・
そこにこそ、おじいちゃんのほんとうのメッセージがあるからな。
合掌、南無阿弥陀仏。
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