光市の母子殺害 元少年に死刑
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以前、書いたかもしれないが、例の弁護士どもがわけのわからないことを言い出したのが大きく報道された時、はとこの子供がこう聞いてきた。
「どうして人を殺してはいけないの?」
それに、私はこう答えた。
「人を殺せば、自分も殺されるからさ。因果応報ってやつだよ。親兄弟の仇なら、差し違えることは許されるが、てめえのくだらねえ欲望に負けて人様を殺しちまったんじゃあ、ブタのようにブチ殺されて当然だ。よく覚えておきな、死刑ってなあ、因果応報の見せしめなんだよ。江戸時代はこれだけの非道を犯した罪人なら、公開処刑もんだが、公開の効果はバッチリだったはずだ。今じゃあ、誰々が死刑になりましたって新聞に載るだけだが、どこかのボケが死刑なんてなくしましょうと世迷い言をぬかしやがる。因果応報が速やかに完了してこその、法律なのに、そいつをてめえの都合のいいようにねじ曲げちまったんじゃあ、世の中真っ暗になっちまわあ」
その通り。
法律は因果応報の速やかな完了のためにこそある。
そうでなければ、本村さんは、妻子の敵討ちのために、人生のすべてを捧げるという悲惨な一生を送ってしまうだろう。
犯人が悪いのは当たり前のことなのに、被害者まで同じ目に追いやるべきなのだろうか?
だからこそ、警察というものがあり、裁判所というものがある。
今回の、見ていて、本村さんの精神力に感服し、そして弁護士どもの外道ぶりに呆れ返ってしまった、ゴタゴタの最大の原因は、何よりもまず、弁護士どもが死刑反対の考えを持っていたことだろう。
どこかの国みたいに、死刑に代わる法として、終身刑何百年というのなら、これも因果応報のひとつの完了の形だろう。
しかし、なぜ、無罪に向かってああもわけのわからないことを述べ立ててまで、一生懸命になるのか、私は理解出来ない。
あれが弁護士としての当然の職務なのか?
私はある日、我が家の顧問弁護士もやつらの仲間のように、胸ぐらを掴まんばかりの勢いで「あいつら、あれでも弁護士なのかよ!?」と尋ねたことがある。
すると、彼は落ち着き払ってこう答えた。
「あれは冷静さを欠いた弁護士の欠陥品ですな・・・私情が露骨なまでに入っている・・・我々はあくまでも誰が殺して、誰が殺されたかの状況にこだわって、法律に照らし合わせて、検察側と議論するのが基本ですから。ああいう連中と私を一緒にしてもらっては困りますよ、犬神さん」
今回の判決で、弁護士どもの「敗北」も決まった。
これを機会に、きゃつらもドタマの中身をきれいさっぱり、生まれ変わるがごとく、リセットするべきだろう。
そうでなければ、弁護士といえども、いつか必ず、因果応報というものを身をもって完了することになる。
とにかく、当たり前の判決だが、長すぎた。
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