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中国は、中国が認定した高僧、活仏を「使って」、平穏化をはかっている・・・というのを読んで。
私は高校時代に寄稿していた文芸機関誌に掲載された、もうひとつの「戦後史」を思い出した。
オタクという言葉がまだなかった頃の、ガチガチの硬派な文学少年、文学青年による「純文学」の同人だったが、私のようにストレートに純文学をうたってもつまらないと、あえて、SF、幻想と怪奇の分野から文学に入っていこうとする少数派が頑張って想像力を競い合っていたのである。
その中で、同じテーマでどれだけ面白い話を書けるかという企画があって、「戦後」がお題にあがった時、私はGHQに対する「日本亡命政府」として昭和版幕府の復活を書いたのだが、一番面白かったのは、最年長のW氏が書いた「影天皇」という話であった。
昭和天皇が戦犯として処刑された後、米軍が認定した「新皇」を新しい天皇として据えて、それに従う日本政府と、猛反発する民衆の「内戦」が展開されるという内容だった。
私は一読して、そのあまりの面白さ、肌に迫るリアルな嫌悪感にすっかり脱帽して、「私は先祖同様、幕府側の人間ですが、もし米軍による新皇がたてられたら、銃と刀を手にとって、天皇家の復権のために闘うでしょう」と熱い感想を書いたものだ。
その気持ちは現在でも変わっていない。
そのことを思い出してみると。
現在のチベットの民衆の心は、ほんとうに理解出来てしまうのである。
中国が勝手に認定した高僧、ラマの生まれ変わりは、我が国の感覚で言い換えれば、どこの馬の骨ともしれない素姓の者を「天皇」と仰げというのと同じことなのだ。
身体だけでなく、魂をも穢されたのならば、その時点で、もう我慢しなくていい。
「影天皇」のクライマックスは、米軍が認定した新皇の正体があの熊沢天皇だったことが判明して、怒れる民衆は驚き呆れつつ、代わりに時の首相を袋叩きにして簀巻きにしてしまうというものだった。
註)熊沢天皇は実在した人である。詳しくは以下のサイトをご参照あれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2%E5%AF%9B%E9%81%93
チベットでは。
最初から正体など知れているに決まっているから、僧侶といえども、「売国奴」として民衆の怒りに燃やされてしまうだろう。
熊沢天皇は愛すべき山師だったから、現実でも「影天皇」でも怒りの矛先を向けられなかった(というより、全く相手にされなかった)が、中国に認定された上で、のうのうとふんぞり返っている彼らは、将来、ほんとうに殺害目標になる確率が高すぎる。
どこの国でも。
民族の心のよりどころは侵すべからざる神聖かつ崇高なものなのだ。
中国はすでにやってはいけないことをやってしまった。
これ以上、まだ因果を重ねるつもりなのか。
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