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2007年10月25日23:06

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そこにいた少女。

■少女画で人気、イラストレーターの内藤ルネさん死去(読売新聞 - 10月25日 20:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=324679&media_id=20

描いた人の名前を知ったのはずっと後になってからだったけれども、思い返せば、私の幼年時代の片隅にずっと「そこにいました」。
母の持っていた本の中にもあったし、従姉は雑誌からの切り抜きを壁に貼っていました。
祖母は高畠華宵、伊藤彦造の熱狂的な信者で、画集や絵葉書を収集していましたが、幼少時の私には、二人のタッチは何となく近寄りがたいものだったので(後に、高畠が丸尾末広、伊藤が花輪和一に乗り移ったことを考えればニヤッと笑ってしまうことなのですが)、中原淳一、そして内藤ルネのタッチに親しんだものです。

リアルであるよりは、柔らかい方がいい。

だから、ルネ描く少女たちは、常に私の周囲の「絶対少女」たちとともに、「そこにいました」。
「絶対少女」、即ち、老若男女を問わず、人間の心の内奥に潜み行く、永遠の少女性。
だから、祖母も、母も、叔母も、従姉も、そして、祖父も、父も、叔父も、全て、それぞれの「絶対少女」をルネ描く少女像を通して具現化させていたわけです。
家の中に飾られることで、日常とともに「在る」。
そういうところで生まれ育っていれば、自ずからと、私自身にも「絶対少女」が宿るのは自然なことでしょう。

従って。

今日、私自身の「少女趣味」が意外にも、乙女チックなのはそういうわけなのです。
ここに、私のことをよく知らない、通りすがりの読者さんたちがわざわざメッセージで寄越してくる、「犬神博士が時々、男ではなく、女に思える瞬間がある」という謎の真相があるという・・・笑。

・・・・・・

ところで。
竹久夢二から始まって、高畠、伊藤、中原に続いて、内藤ルネも「男性」であることを考えると、男性にとっての「絶対少女」は、女性のそれとは違って、永遠の「憧憬」であると思います。
女性はいつでも自らのうちに見出せるけれども、男性は永遠に憧れ続けるしかない。
そのニヒリズムにも似た、ストイックな感情が産み出す「少女像」がかえって少女たちの崇拝を集めているというのは、思わず微笑を誘いますし、ジェンダーフリーなんていう訳の分からない考えなぞかえって社会を混乱に陥れるとさえ考えてしまいます。

「そこにいた」少女を描き続けた内藤ルネ氏のご冥福を祈って。
合掌、南無阿弥陀仏。

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