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2007年02月09日23:32

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同性愛について。�4扱詈�

「あなたをお招きしたのは、真面目なお方だということが一目で見てとれたからです。私流の考えからすれば、自分もやはり真面目な人間のつもりでおります。どうも、われわれのような種族は地球の表面にあまり繁殖しないようですな。私がはるばるこんなところまでやって来て、この城に閉じ籠る気になったのも、軽佻浮薄な世の中に愛想をつかしたことが最大の原因です。たとえば、自宅以外の場所では、私はめったに勃起できたためしがありません。第一、遊びをとことんまで徹底させることができないのに、おっ立ててみたところで何になるんです?私としては、御免蒙りたいですな。おまけに私の体質は特異で、勃起するよりも、射精して萎えるほうに、はるかにお膳立てと苦労を要する始末でしてね。ここでは、あなたや私のような人物にふさわしい遊びを行なうつもりです」

ピエール・モリオン「閉ざされた城の中で語る英吉利人」


自分の生き方と進む道がはっきりと定まった以上は、一心不乱に突き進み、自分自身を最大の敵として人生そのものを戦い続けるだけである。
そこには何の不満もない。
ないのだが、時折心の片隅に去来する「渇き」は、肉体的にも潤わず、昂ぶらず、射精したくても出来ない状態を引き起こした。
このイラつき。
高校時代の初めは常にイラついていたが、私と同じくイラついていた作家が目の前に現れてくれたので、作家の本を読むことで、彼との「精神的な」同性愛に耽った。
作家は、中上健次。
特に、映画「火まつり」は、私の心から反り返るペニスを荒々しくしごいてくれた。

・・・・・・

この年頃の私は、他の高校生と同様、肉体的に健全なセックスに耽ることは出来たが、一人部屋に籠ってオナニーをする時、一時間、二時間とペニスを擦っても射精に達することがかなわなくなっていた。
汗びっしょりになって。
時には絶叫。
クラスメイトや先輩を男女問わず貫いた感触を我が身に蘇らせても、全然興奮しないのはなぜなのか?
頭の中ではいくらでも射精できるのに、一人になった身体は勃起はしても射精できないという状態。
そこで初めて、雲の彼方の快楽を追い求め続けてきた危険性の代償をまざまざと知った。
虚空で、ムッシュ・モンキュが優しく囁く。
「射精できる手段は他にもあります」
ピエール・ド・マンディアルグがピエール・モリオンの名前で書いた「閉ざされた城の中で語る英吉利人」に登場するモンキュ氏は、射精出来なくなった代わりに、自分の居城を爆破してしまった。
その行為は確かに魅力的だった。
しかし、苛立った私を救ったのは、美しい文体を精神そのものと崇めていた私の頭の中身をそっくりブチ壊してくれた、ウィリアム・S・バロウズだった。
カットアップ、フォールドインといった大胆な手法を使った、言葉そのものが咆哮するというイメージの乱舞は、当時耽溺していたスターリンの音楽とともに、私の五体を三度、白濁した液体に溶解していた。
そこから現れる、ゾクゾクするような美女、もうひとりの私自身。
精神と肉体が幸福な再結合を果たし、思う存分射精できるようになった私は、また彼女や、二番目の彼氏を作って、若者らしくセックスに耽る日々を送ったが、もうセックスやオナニーそのものに溺れることは少なくなっていた。


「私の知り合ったビッグ・メン。感情を持ち合わせず、私を傷付けた男たち、愛情をかけておいて、私が手を差し出すや踏みつけにした男たち、眼の前で巨根を振っておきながら、触らせてくれと懇願するとせせら笑った男たち、共謀を必要とする裏切り者よファシストよ、この素晴らしい街に住むおまえたち全員。私はおまえたちを崇拝する。おまえたち以外とはヤレない。それはおまえたちの男根ではない、それは、人が道を歩くのと同じ位に易々と実行され、混乱を引き起こすおまえたちの巧みな不正、企み、虚偽なのだ。私はこれを冒険と呼ぼう。それ以外はすべて死だ。おまえたちの誰かと共にいる時、私は生を得る。あとのことなどかまいはしないのだ。
 シーツの間に少年を招き入れることを、私はセックスとは呼ばない。年若い、あるいは品のいい少年達に惹かれることはめったにない。飽きるのが判っているからだ。私はおまえの生の感触、裏切りと危険によって出来上がった複雑さが欲しい。私は、自分を傷めつけてくれる男たちが好きだ。なぜなら、しばしば自分を見失う私のエゴイズムを断ち切ることができるから。私はぶたれ、痛めつけられ、ブチ込まれるのが好きだ。このセックス、私がセックスと呼んでいるものは、私の人生を手引きしてくれる。裏切り者、異常者、カス、精神分裂症患者のこのセックスが存在することを、私は知っている。彼らこそが私の求める男たちなのだ」

キャシー・アッカー「血みどろ臓物ハイスクール」(引用文は、キャシー・アッカー自身の文体による、ジャン・ジュネの「泥棒日記」の引用部分)


クラスメイトにこう言われたことがある。
「おめえ、男ともヤレるんだってな、うへっ、気持ち悪いよ!」
そこで、私は大きくニヤッと笑ってこう言い返してやった。
「だからこそ面白いのさ。単純なものより、複雑なシチュエーションの方がオレのチンコを硬くさせるんだ。残念だったな、おめえはこれから先、一生の間、単純なセックス、正常位くれえしか出来ない日々を送るんだろうな。気の毒に!」
これだけ言われると、クラスメイトはもう何も言わなくなってしまった。
あれからこんにちに至るまで。
私はその時、その時、その瞬間相応のセックスをしてきたが、常に、パートナーと二人きりの世界ではなく、性別を問わず、お互いの本性をさらけ出しあいながら、好んで複雑なシチュエーションを作り出して、その中を真っ白な光芒で切り裂くように、お互い「射精」しあうという恐ろしいまでの大騒ぎを展開させてきた。
そうでなければ、後に残るのはいまだ未知の「死」だけだからだ。
こういう、本性のさらけ出し合いこそが、私なりの同性愛なのであった。

・・・・・・

でも。
ここ最近、何回も読み返してきた萩尾望都の「半神」をまた読み返して・・・
その気になれば、まともにやれたはずの私自身の「半身」を想って、涙が溢れてくる。


愛よりももっと深く愛していたよ
おまえを

憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよ
おまえを

わたしに重なる影

わたしの神

こんな夜は涙が止まらない
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