AIエッセイ版
35年前の7月、大津の三井寺を2人で歩いた。暑い日だった。境内の石段や木陰のことは覚えているが、何を話していたのかはもうはっきりしない。
そのとき、自分たちは2年後にもう一度会おうと約束した。もしそのときも気持ちが変わっていなければ結婚しよう、という話だった。若いころには、そういう約束を特別なこととも思わずにしてしまう。
その後1年ほど、手紙のやり取りが続いた。今のようにすぐ連絡が取れる時代ではないので、手紙は互いの近況や気持ちを伝えるほとんど唯一の方法だった。
その中で彼女が書いてきた言葉がある。カトリックでは離婚した相手とは結婚しないと言われているが、自分は気にしない、という意味のことだった。それを読んだとき自分は嬉しかった。ただ同時に少しだけ重いものを感じたのも事実である。相手の覚悟のようなものを受け取った気がしたからだ。
しかし、それが破局の原因だったとは思わない。理由はもっと普通のものだったのだろう。距離や生活の違い、時間の流れ、そういうものが重なったのだと思う。
結局、2年後の再会は実現しなかった。手紙もいつのまにか途絶え、それぞれ別の人生を歩いた。
それでも三井寺のことは、ときどき思い出す。夏の日差しと、石段を上りながら将来の話をしていた時間のことだ。
ただ、あの2年間の記憶を自分がどこかで美化しているのではないかと思うこともある。
おそらく多少はそうなのだろう。思い出は時間とともに形を変えるものだからだ。それでも、あの夏の日に2人で歩いたこと、そしてしばらくのあいだ手紙をやり取りしたことは、確かにあった出来事である。それだけは今でもはっきりしている。
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